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生きることに希望が持てる

くるみからです。

「軸 」

今年のお正月に書き初めをしました。
書いた字は「軸」でした。

「親の時間」で私は人との関係は
自分が主導権をとることや、自分から
人間関係を作っていくことを知りました。

最初はよく分かりませんでした。
でも人との関係で自分に軸があると
周りに振り回されずちょっと楽になります。

私には私の軸があり
相手には相手の軸がある。
当たり前のようでも
意識出来ていなかったと思います。

私の子どもの頃の家族は
父からの一方通行な支配的な関係でした。
父が軸でみんながそれに合わせる
というものだったと思います。

自分に軸があって自分から関係を作ること
50歳前になってそれに気づくなんて
ちょっと残酷なような良かったような……
ものの見方が180度変わるような感じがしました。

愛されようと努力したり
愛されないのは自分が悪いと
思わされて生きてきました。

では今の自分を軸にして
大事な人は誰だろうと
思いを巡らせてみました。

ちなみに近くにいた小学生の息子に聞いてみると
大事なのは〜友達と家族……
家族と友達かなぁと言っていました。

私はまず自分。
子どもたちに夫、
私に大きな影響を与えてくれた
子どもが通った幼稚園の園長やスタッフ 、
「親の時間」のメンバーたち
この人たちなしでは、
今の私のありようは考えられません。
若い時に一緒に演劇をした
道外にいる人も大事な人。

さて、問題はここからです。
私は友達っていうのがよくわからないのです。
息子は友達が大事って即答できるのに。
友達ってなに?私の友達って誰?

知人はいっぱいいます。
私を知ってる人もたくさんいると思います。

私はよく人間関係の中で
仲間に入れてもらえないとか
遊びや飲み会に誘われないことに
えらく悩んでいました。
悩むというより、そういうパターンに
入ってしまいました。
今でも胸がチクリとすることはあるけど、
自分を軸に考えることができるようになったら
あら不思議!あんなに悩んで苦しんできたのに
前より軽くなっているのです。
今までそのパターンに費やしてきた時間が減って
心に空いたスペースができた感じです。
心が少し軽くなって、自分が
何をしたいかと考えられるようになりました。

私は今、小さなことでも
自らやってみたいことをやりきりたいです。
自分の世界を表に出して見てみたい、
形にしてみたい、
自分という私を大事にしたいと思っています。

「友達」という言葉をググッてみると
「心を開いて気持ちを話せる人」とありました。

私は子どもの頃たくさん寂しい思いをしました。
一緒に遊んだ人は友達だったと思うけど
遊んだ空き地の草や石、
飼っていた猫や犬、森の中の木や風、
そういうのに友達のような感覚を
持っていたのかなと思います。
今も自然の中にいると心地よいです。
あとは本です。

友達ってよくわからないけど
私は誠実な人たちが好きだから
自分の軸を持った誠実な人でありたいなと
思えるようになってきました。
こんなに生きることに希望を持てるなんて
なんて素敵なことなんだろう。

くるみ
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リハビリと出会の円山

いっこからです。

今年の始めに手術をして以来、
ダメージをうけた心臓が力を取り戻すために
リハビリを続けています。
地道なリハビリの励みになっていた目標は、
標高225メートルの円山に登ることでした。

初夏に初めて登ってみた時には、
山道をとても険しく感じました。
心臓もバクバクするので
途中であきらめて引き返しました。

それから3ヶ月後の10月13日、
再挑戦しました。
その時には周りの景色を味わう余裕があり、
原生林の美しさに感動しながら
歩いていきました。
時々立ち止まって手首で脈を取り、
どのくらいドキドキしているか様子を見たり、
休憩をとりながらゆっくりゆっくり歩きました。

そんな私の様子を見て、
「大丈夫ですか?」と
声をかけてくれる人がいました。
3才くらいの男の子が家族と一緒に
「よいしょ、よいしょ」と登ってきて
あっという間に追い越していきました。
幼稚園や保育園の子達が何組も
下ってくるのとすれちがったり、
その日はとてもにぎやかでした。

後半だんだんと休む間隔が
短くなってきました。
『やっぱりきついなぁ』と
思いながら歩いていくと、
杖をついて歩いている
年配の女性に追いつきました。
娘さんらしい人がずっと先の方で
待っていましたが、その人は
「マイペースで行くから先に行ってて」
と声をかけて、
休み休みゆっくり歩いています。
私にも「お先にどうぞ。」
と言ってくれましたが
「私もきつかったところだから、
一緒に登ります」と応えて、
その人の後ろについて歩きました。
ちょっと歩く速度が遅くなったので
呼吸が楽になりました。
その人は、以前は楽々と登っていたのに
こんなに歩けなくなって、と話し出しました。
私も、手術をしてから
山道を歩く練習を始めたばかりで
きついことを話しました。
そうやって話しながら一緒に歩いていくと
あっという間に山頂につきました。

そこでは沢山の人たちが
思い思いに岩に腰掛けて
景色を眺めていました。
低い山ながら、東の方には
札幌ドームや私の家の辺りの丘陵が、
北の方には石狩湾が見えます。

いっこ1

私も座って休んでいると、
「今日は気持ちいいですね」と
隣にいた女の人が話しかけてきました。
私が初めて円山に登ったいきさつを話して
今日は記念日になったと言うと、
写真を撮ってくれました。
その人の足元を見ると
サンダル履きなのにはびっくりしました。
足の指をしっかり使って歩くのには
運動靴よりもいいのだそうです。
そして別れ際に「10月13日ですね!」
と言って手を振ってさっそうと
降りていきました。

景色もさることながら思いの外、
人との出会いが楽しくて、
すっかり円山のファンになりました。
そしてその5日後には2回目、
さらにその2週間後には3回目と
登って紅葉も楽しみました。

登るごとに体力がついてきているのを感じて
うれしいので、予定の無い日の天気予報を
いつも気にしていました。

3回目は風が強い日でした。
頂上ではカラスの声が騒がしく、
風に乗ってふわーっと高く上がってきたかと思うと
追いかけっこをするように一気に滑空する様子が、
まるで子ども達が遊んでいるかのようでした。

いっこ2


最初に『大丈夫ですか』と
声をかけてくれた女性とは
お互いの時間が合うらしくて毎回出会いました。
一緒に野鳥を観察したりもして
すっかり顔なじみになりました。

そして、11月22日に4回目。
木の葉はほとんど落ちていて
森の中が明るかったです。

いっこ3


どこまで体力が回復するのか
不安も感じながらのリハビリですが、
今の私にちょうどぴったりの円山があって、
登るたびに自然の美しさを感じたり
人との出会いがあるのが本当にうれしいです。

いっこ

娘の気持ちに気づけたわたし

青森クラスのいずみからです。

娘が猫を飼いたいと言った。

子猫とお見合いすることになり
2年前にお別れした猫のことを思い出して
そのときに感じた自分の気持ちに
向き合うことになった。

もっと長生きさせたかったのに、とか
自分の飼い方が悪かったからだ、とか
まだお別れした傷が癒えてない。

旅立った猫は夫の夢には出てきたらしい。
私の夢にも出てきてくれ。

今度の猫はもっと長生きさせたい。
大事に育てるから。

娘と一緒に猫との生活のお約束を
いっぱい書いたのは
私に覚悟が必要だったからかもしれない。

お見合いしたその子猫が来て
賑やかに過ごしているが
私は娘の気持ちに気づいた。

わかるよ、そのモヤモヤ。
母ちゃんも弟ができた時
同じ気持ちだったから。

うれしくてかわいいと思う気持ちと同じくらい、
注目される時間が減ってさみしいこと。
お母さんを独り占めできなくなったこと。
お父さんを独り占めできなくなったこと。
お母さんと遊ぶ時間が減ったこと。
自分が小さい子(子猫)のお世話をすること。

かわいいけどなんかモヤモヤするよね。
嫉妬玉出ちゃうよね。
どんな気持ちもいっぱい話してみてよ。
娘はなんでわかったの?と嬉しそう。
最近娘からよくハグしてくれるようになった。

娘の気持ちに寄り添えるようになってきたのは
「親の時間」で小さい頃の
私自身の気持ちに向き合ってきたからなのかな?
と考えられる私、前より少しずつ前向きになってる。

今の娘の気持ちに気付けた私、
少しずついい感じ。

いずみ

仲直り

まきちゃんからです。

「8年ぶりの再会」

つい先日、娘と同級生の友人が
28才で亡くなりました。
娘と5歳の頃から同じ幼稚園に通い、
親同士も仲良くなりました。
子どもたちが大きくなってからは、
頻繁に会わなくなりましたが、
8年前まで親交があった人でした。

彼女の息子が
余命宣告を受けるまで進行した癌であることを、
私の娘から聞くまでは、
「どうしているのかなぁ~」と
時々思い出すぐらいでした。
と、言うのも、8年前、
彼女の生活を見ているのが辛くて、
私から距離を置くようになったからでした。

札幌を出て実家に帰ると連絡を受けても
「そうか、元気でね」くらいの
メールを送っただけだったと思います。

でも、わが子を全力で守る姿、
シングルマザーになって経済的に苦しくて、
過酷な仕事を必死にする姿、
私のふざけた話に、半ば呆れながらも
付き合ってくれる優しさが大好きで、
彼女は私のお母さんの次に
好きな人と言っても良いくらいでした。

娘から、彼女の息子の状況を聞いた時も、
内心ざわざわするものの、
二人に会いに行くか迷っていました。
でも、娘が横浜から日帰りで北海道に来て、
実家である我が家にも寄らず、
彼を見舞って帰っていく様子に
感じるものがあって、
また、親同士連絡を取り合うようになりました。

亡くなる二日前、
娘と小学校5.6年の担任だった先生と3人で
彼女の息子に会いに行きました。
中学の途中から学校に行かないと決めた彼が、
小学校時代のこの先生には会いたいと
親友にもらし、娘とその親友が
探し当て、先生が来てくれました。

このご時世で面会人数が限られ、
私達が面会している間、
親である彼女は、
待合室で千羽鶴を折って
面会が終わるのを待っていてくれました。
そして、息子のCTの画像と肺の
レントゲン写真のコピーを
面会に来る人くる人に見せて説明をし、
現実を受け止めようとしているようでした。

ある日の私とのラインのやり取りでは
「まだ、夢を見ているようだ」と書いていました。

アルコール依存を6年かけて克服し、
タバコも止めた彼女は50キロも体重が増え、
足を引きずって歩いていました。

息子が遺骨になって戻ってきた日に
彼女と約束をしました。
お互い、自分の体を大事にしようね、っと。

彼女の悲しみは想像もつきません。
でも、彼女の側に
そっと寄り添っていたいと思います。
また、喧嘩もするかもしれないけれど、
仲直りも出来るから。

まきちゃん

初めての一人登山旅行

ちほからです。

札幌近郊の一人登山を始めてから3年が過ぎ、
地方の山にも登ってみたくなり、
9月に一人で登山旅行に行ってきました。

道南方面をドライブしながら
昨年も登った雌阿寒岳、
初めての雄阿寒岳と斜里岳と、
3つの岳を登る一人旅です。

道東は私の地元ですが、
単独登山を地方でするのは初めてだったので、
いつもより綿密にルートの下調べや
移動の計画を立てました。
また、熊の出没が増えてきているので、
熊スプレーを準備し、寒さ対策もして、
準備万全で出発しました。

1日目は雌阿寒岳です。
山頂付近は強い風が吹き、
絶えず雲に覆われて青沼や
阿寒富士を見ることはできませんでしたが、
私の好きな火口の噴煙を見ることができました。
無事に下山し、温泉に浸かり、
明日の雄阿寒岳はどんな登山になるのだろうと
期待していました。

2日目の雄阿寒岳の
登山口駐車場についた時です。
パン!という大きな音が
車の下から聞こえました。
前輪のタイヤが、
せまい駐車場の石に乗り上げた時に
破裂してしまったのです。
「やってしまった」とは思ったものの、
その時はまだ
「パンクを修理したら下山が遅くなるな」
くらいにしか思っていませんでした。

私はロードサービスに連絡をして現実を知るのです。
レッカー車は隣町からやってくるのに
1時間かかること、タイヤが破裂してしまったら
まるごと交換しなくてはならないこと、
そのタイヤは自分で調達しなければならないこと
(うちの車は予備のタイヤを積んでいないタイプ)、
さらに9月は店に置くのが冬タイヤに替わる時期のため、
探しているタイプの夏タイヤは置いていないということ。
「今日は登れない」と、この時にやっと気がつきました。

登山は中止だとわかっていながらも
目の前に登ろうと思った山があるのです。
なんということだと一瞬、
気持ちがぐちゃぐちゃになってしまいましたが、
近隣のガソリンスタンドやタイヤ店に
必死に電話をかけていました。

その時たまたま「親の時間」の人から
用事のメッセージがLINE入ったので
その人に電話をかけて
「話を3分聞いてもらえる?」とお願いし、
その時の状況と気持ちを聞いてもらいました。
自分では冷静に対処していたつもりでいたのですが、
気持ちは焦っているとわかり、
登山できなくてとても残念に思ってると
口にすることで気持ちが落ち着いてきました。

その後レッカー車を待っている間、
タイヤ店や修理工場、ディーラーまで
20件近く電話をかけたのですが、
うちの車に合うタイヤは取り寄せに数日かかるらしく、
道東に車を置いて行かなければならないかもしれないと
また焦りました。

しかし、電話を受けた業者の人たちは、
夏タイヤの在庫がなくて申し訳ないですと言った後、
保険やロードサービスには
こう言ったほうがいいよとか、
他の店にも聞いてあげるからと
親切に対応してくれました。

電話から聞こえる声が、大丈夫かい?と
言ってくれているようで
また気持ちが元気になってきました。
車を運んでくれたレッカー車の人も親切な人でした。
早朝に出動した後に向かってくれた彼は、
私が無駄に料金を支払わなくていいよう
保険への返答も教えてくれました。
一人で困っている時に、
仕事のマニュアルで対応するだけではない、
人としての思いやりは本当に沁みるものだと
つくづく思いました。

結局、レッカー車を待つ間にタイヤが見つかり、
無事交換することができました。
でも、この日は登山することを断念し、
ゆっくり3日目に登る予定の斜里岳のふもと、
清里町に向かいました。
清里町に入ると広大な平野の真ん中に
私の大好きな独立峰のような
斜里岳が見えてきました。
町のどこからでも近くに感じることができる
存在感のある山です。
何というかっこいい山だろうと
車窓から見える斜里岳を眺めながら、
次の日の登山がとても楽しみになりました。

しかし、宿泊先でまた私は
やらかしていたことを知るのです。
間違えて前日に宿泊予約をしていました。
最初、怪訝そうにしていた宿の主人でしたが、
私が謝ると「部屋も空いているしいいよ」
と泊めてくれました。
いろいろあった1日でしたが、
次の日も早く出発するので
泊めてもらえてよかったと思いながら
眠りにつきました。

翌日、夜明け前に宿を出発し、
登山口に向かいました。
ほの暗く夜が残る空は、
東のほうからゆっくりと
うすいオレンジに染まっていきます。
畑の中で真っ黒なシルエットで
そびえ立っている斜里岳も
また美しいものでした。

どんな行程になるだろうと
心を躍らせて登山口を進んでいくと、
沢が現れました。
人生初の渡渉(沢渡り)に挑戦です。
沢を岩伝いに渡り、
沢沿いの小道を歩くことを繰り返していきます。
登り始めは川に落ちないように
飛び石を恐る恐る渡っていたのですが、
浅い川に登山靴を入れたほうが
安定して歩けることがわかってきて、
途中から登山靴をバシャバシャ
濡らしながら歩いていきました。
いくつもの滝を横から見たり、
上から見下ろしたり、
暑い時期はもっと気持ちがいいだろうと思いました。

渡渉が終わると森の中を進み、
胸突き八丁と名付けられた
急登を一歩一歩進んで行き、
馬の背に着きます。
ゴロゴロとした岩のあるガレ場に
足元をとられないようにしていくと、
視界が広がり、山頂付近や遠くの山々が見えました。
すれ違う人たちと「いい山ですね」
「あと少しですよ」と声をかけあって
最後の登りを進み、山頂にたどり着きました。
変化に富んだルートを歩いて、
阿寒の山々、知床半島、雲海など
雄大な風景を眺め、
またここに来たいと強く思いました。

帰る道中、私は旅の行程を振り返っていました。
初めての一人登山旅行は
予想外の出来事が起こり、
初めは焦ったけれど
大変なことがあった訳ではなかった。
いろんな人たちに声をかけてもらい、
助けてもらってうれしかったなと
しみじみ感じました。

3つの山を登る計画を
変更することになった出来事が、
かえって斜里岳のすばらしさを
引き立ててくれたのではないかと思うくらいです。

来年は車の点検もして、
目の前で登ることを断念した
雄阿寒岳に行きます!

ちほ
プロフィール

わこ

Author:わこ
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