結果や評価より大切なこと

ちえちゃんからです。

わたしの息子が通っている小学校では、
毎週、学校の周囲を走る
全校マラソンの授業があります。

定められた時間内に何周走ったかを
毎回記録・加算し、学年末に
トータル周回数の多い生徒は表彰されます。

息子は一年生からこのマラソンを頑張ってきて、
その日は何があっても学校を休みません。
なぜそんな熱心なのか不思議に思っていたのですが、
あるとき息子が「クラスメイトのAくんが頑張るから、
おれも頑張れるんだ」と話してくれました。
そういう仲間に恵まれたことがうれしかったものです。

今年になってしばらくして、
そのAくんが怪我をしてしまいました。
Aくんとはいっしょに走れなくなってしまいましたが、
息子は休むことなくマラソンに参加していました。
ですが、どうも記録が伸びなくなりました。
昨年の終わり頃には6周できたはずなのに、
5周しかしないのです。
理由を尋ねると、「自分の学年では
いちばん走っているほうだ」としか答えません。

わたしは「がんばればもっとできるはずなのに」と、
息子に不満を持ちました。
昨年から体重が増え、身体が重く
なったために走れないのではないか。
高学年になって、手抜きを覚えたせいではないか。
感情のままに、そんなことを
息子に言ったこともあります。

ところが最近、息子のクラスメイトの
お母さんから声をかけられました。
彼女の娘さんも、いまマラソンを
頑張っているとのこと。
けれど、身体が小さいことや、
マラソンコースの中に苦手な箇所があって、
いつもそこで遅れがちになってしまっているそうです。
「けれど、娘が遅れるポイントで
いつも息子さんが待っていて、
いっしょに走ってくれるんです。
それで娘も頑張って走っているんですよ」
と、教えてくれました。

その話を聞いて、わたしは、以前、
息子がマラソンを頑張る理由を
聞いたときに心を動かされた理由を、
あらためて考えました。
わたしは、成果のためにライバルと
ともに努力する息子の姿勢に
感心したのではありません。
「ともに励まし合う相手」を、
自分で見つけてくれたことが
うれしかったのです。

息子のほうが結果や評価よりも
大切なことを知っていたのに、
いつの間にかわたしは「結果を出しなさい」と
息子に求めてしまっていました。

それらにとらわれてしまうこと自体は、
わたしのせいではないことと、
こうやってそれに気がつける自分がいて
いまあるのは「親の時間」のおかげです。

そんなことを思いながらも、
「自分の内部にある、評価を求めてしまうこと」に
もっと早くから取り組めば良かったなと、
反省するできごとでした。

ちえちゃん
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泣いたらリラックスできたよ

あやちゃんからです。

先週、娘のクラスに5週間いた
教育実習の先生のお別れ会があったそうです。
とてもステキな先生だったらしく、
学校祭の大変な時期に一緒に
苦労して作業したり、
相談にのってくれたりして
たくさんの思い出ができ、
お別れの時はみんな大号泣だったそうです。

その後、娘は生徒会の面接があり、
それは何日も前から「めっちゃ緊張する~」
と練習していたのですが、
会場まで先生や友達が付き添い、
待っていてくれて、娘は
ぎりぎりまで泣いていたらしく、
「すごく泣いたからリラックスできて
自分の思ってることすらすらしゃべれたさ!」
と嬉しそうに話してくれました。

泣いたらすっきりして余計な肩の力が抜け、
より自分らしくなれることを
知ってるなんてすごいなって思いました。

それに「面接を受けた人がみんな
『質問する人たちの目がこわかった!』
って言ってたけど、わたしはみんなうんうん!っ
てうなずきながらニコニコして
聞いてくれたって感じがしたよ!」とも言っていました。

周りの人の注目を好意的に受けとめられるのは、
「親の時間」の仲間達が、わたしにだけでなく、
娘にも大好きを感じられる注目を
注いでくれて育ったからだなと思えて嬉しくなりました。

あやちゃん

息子の泣き顔もかわいいな

青森のけいこからです。

私には3歳の息子と、1歳の娘がいます。
娘が産まれてから、息子は人が変わったように
イヤイヤをするようになり、
赤ちゃん返りも激しくなりました。
そんな息子が喚くように泣くと、
心が苦しくなっていてもたってもいられなくなり、
一刻も早く泣き止ませなければ!
とゆう強い衝動にかられました。
それと同時に、なぜ泣くとゆう怒りの感情が溢れて、
ついつい強い態度で接してしまい、
その後の後悔と申し訳なさで
押し潰されそうになっていました。

昔から私は、感情を押し殺して生きてきました。
驚いた時も、とっさの声が出ない。
人と会話していても急に思考が停止する。
声が出なくなる。など、自分を固く保っていました。
泣き方もわからなくて、
自分の感情の波を表に出すことは、
死ぬほど恥ずかしいことだと感じていました。
その一方で、ミュージカルやコンサートなどで、
自分の感情を剥き出しにした人を
見るのが大好きで、見たあとは
とてもスッキリした気持ちになっていました。

本当は周りの目を気にせずに
感情のままに泣きたい!
まだ、そこには自分のブロックが
かかっていてできないのですが、
「親の時間」の仲間に昔の自分を聞いてもらい、
少しずつ感情を溶かしていく作業をしていました。

昔から周りの目ばかりを考えて、
自分の感情を押し殺していたので、
自分を100%出しきったことがありません
出すことの怖さと、出しきれてない
イライラが常にある子供でした
そのイライラさえも周りに受け入れられず、
責められていた悲しさが 、
泣いている息子と重なってしまい、
一瞬でも見るのが辛くて苦しかったんだ。
それがわかったのは、「親の時間」で
昔の自分と向き合えたから。

一人ではできなかった。
一人だと、同じ所をぐるぐるしてるだけ。
やはり誰かに聞いてほしかったんだ。
出すことは本当に大事だ!
それがわかってからは、
泣いてる息子の歪んだ顔、
必死で気持ちを吐き出そうと
頑張っている泣き声、
小さい手足をバタバタして
気持ちを表現している姿を、
落ち着いてよーーーく見ることができました!

泣き顔もかわいいな(´ 3`)

そう、思えた自分にビックリでした!
泣いて泣いて泣き終ると、
スッと次のことに行くたくましさ。
こんな息子を見れて良かった。

「親の時間」を知る前の自分だったら、
息子を受け止められずに、
昔の自分と同じ思いをさせていたかも。

でも今は違う。
(まだ上手くできないけど)息子が
泣いても受け入れられる自分がいる。
私はまだ上手く泣けないけれど、
心の中では「そうそう、私も本当は
こうしたかったの!」と、
一瞬でも息子に共感できる。

こうして私は日々、再生していく感覚と
逆戻りする感覚が交互に表れるけど、
辛かったら「親の時間」の仲間が受け止めてくれる。
この余裕に助けられている。

本当にありがとう!
今の自分が好きです(о´∀`о)

けいこ

子どもの自立に思うこと

ちえちゃんからです。

我が家の子どもたちが、夏休み
子どもだけで過ごす長期のキャンプに
行くようになって三年目です。
兄妹ふたりで都心から離れた
キャンプ場に一週間程度の滞在。
食事の支度など、生活に必要なことは
子どもたちだけでおこなわねばならないという、
一種のサバイバルキャンプ生活です。
電気やガス、水道はありません。
薪で火をたき、料理をおこないます。
もちろんトイレは水洗式ではなくて、くみ取り式。
大人もいるのですが、基本的には
小学生の子どもたちだけで活動。
中高生たちが見守り役を行います。

このキャンプにはじめて参加させた
三年前には、子どもたちは
まだ小学校低学年でした。
とくに下の子にはキャンプ生活の
たいへんさを説明したのですが、
行きたいと言い張ったため、同行することに。

このキャンプに子どもを参加させている
親から話をきいたことはあったのですが、
ネットなどでは紹介されておらず、
事前の情報のない場所に
我が子を送り出すのは心配でした。

家で自炊をさせたこともない、
包丁を使う手伝いすらしたこともない子どもが、
こんなに長期間、キャンプ生活を
送ることができるのだろうか?
そう悩み、心配しながら見送ったものです。

キャンプ中、一度だけ、主催者から連絡が来ました。
息子が熱を出したのだそうです。
迎えに行かねばと思いましたが、
息子自身がなんと言っているのか確認すると、
「帰りたくない」とのこと。
そもそも帰ってくるように言われるのがいやで、
自宅に連絡をしたくもなかったようです。

帰宅した子どもたちの荷物を見ると、
心配で持たせた調理不要の食料は、
半分も減っていませんでした。
仲間たちと協力して、わりと手の込んだ
料理を作って食べていたそうです。

娘は、一昨年は包丁で指を切り、病院に。
昨年は、足に大きなやけどで病院に行ったそうです。
いまだにあとが残る大きなやけどを、
本人は気にしている様子もなく、
むしろ武勇伝であったかのように説明します。

子どもの身体は子どものものであると
理解していたつもりでも、私も夫も
やけどには落胆したのですが。

夏の長期キャンプで、子ども達は
親がいなくてもたくましく
生きていけるものなのだと、
あらためて思わされました。
案外、日頃私がしている心配の大半は、
むしろ子どもの成長には
じゃまなものなのかもしれません。
「子どものため」と思って行動するとき、
私は「母親という自分の居場所」を
手に入れることができます。
それは自分で自分の人生を
歩むことから逃れるための、
一種の依存か、いいわけなのだとも思えます。

今年のキャンプは十日間。
三年目ともなれば過度な心配も、
自分に対する焦りもありません。
(もちろん、そのつど「親の時間」のみなさんに
私の話を聞いてもらっていたおかげでもあると思います。)

子どもたちのいない十日間は、
アルバイトをしています。
特にやりたい仕事でもないですが、
たんたんとこなしています。

子どもを産む前の私は、やりたい仕事には
ついていたものの、やはりたんたんと、
無感動に日常を過ごしていたことを思い出します。
もし、子どもがいなかったら、きっと
私はお金を得るための手段として、
ただ仕事をこなすだけの日々を
送っていたかもしれません。

望んで親になりましたが、
実際に子どもが生まれてみると、
あまりに思い通りにいかないことばかり。
自分の見たくはなかった面を
つきつけられてるような機会が多く、
悩みや苦しみが増えたとさえ
感じるときもあります。

でも、こうして一週間以上も離れて暮らすと、
子どもたちとの時間が、尊いものに
なっていることがひしひしと感じられます。

いまはまだ、子どもたちは当たり前のように
私たち夫婦のところに帰ってきて、
またいっしょに生活をします。

やがて子どもたちは自立するでしょうが、
そのときまでに、私も自立した人生を
歩めたらいいと思います。

ちえちゃん

親は子どもの絶対的な味方

広島クラスのアレキサンドラからです。

もうずいぶん長い間、「親の時間」を続けています。

子どもも成長していきましたが、
それぞれの成長過程で
さまざまな心配事や悩みがあって、
いつまでたっても、親であることには
変わりはありません。

ただ子どもも大人になると、
子どもの人生は子どものもの
ということが素直に納得できるようになり、
少し離れた視線で見ることも
できるようになったかなとも思います。

しかしやっぱり心配事はつきない・・・
子どもが大切なのです。
彼のために、どんなことでも
してやりたいのです。

「親の時間」は、そんな葛藤の中にある
私の気持ちを、冷静にしてくれるいい時間です。
そして、心配していいんだと、
自分に言い聞かせてくれる時間です。

いっぱい心配して、
でも彼の人生なのだからと
彼の判断に任せる。
私が私の判断と決断で、
自分の人生を歩んできたように、
彼もきっと自分の人生を歩んでいくでしょう。

でも、いつも心配して、
絶対の味方の親の存在があることも、
時には思い出してくれたらいいなと願っています。

アレキサンドラ
プロフィール

わこ

Author:わこ
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