優しい励ましっていいよね!

まずは、まきちゃんの文章を読んで下さいね。

「励まし」

ブログを書いている今日も雪がちらついています。
春はどこに寄り道しているのでしょうか?

私は朝刊を配達する仕事を
ちょうど1年前から始めました。

とある3月の朝、
いつものお宅の玄関の新聞受けに「朝刊配達の方へ」
とメモの付いたレジ袋が貼り付けてありました。
「何だろう?」とメモを読むと、
その前日、もの凄い吹雪だったので、
そんな中配達したことへのねぎらいの言葉と、
毎日ありがとうということと、
最後に「アメどうぞ」とあって、
レジ袋の中に手つかずのアメの袋が入っていました。

本当に前日の配達は、いつもの3倍時間がかかって、
体もくたくたで泣きたくなるくらいの日でした。
なので、そのメモを読んだとき、
嬉しくて涙が出てきました。
さっきまで、寒々とした雪道が
街灯に照らされてキラキラしていることや、
さっきまで気がつかなかった、
遥か遠くに思っていた春の匂いが
いっぺんに漂ってきました。
深雪を踏み込む足も自然と軽やかになります。
早朝で、人の姿もめったに見かけることのない景色に、
人を感じた瞬間でした。

普段、こどもや周りの人になかなか
「励ます」ことが難しく、
落ち込むことがよくあります。
「励ます」に「怒り」とか
「指図」がくっついて言葉にでがちで、
結果、「励まし」になっていなかったり。
自分に余裕がなくて、優しい気持ちに
なれないと難しいですよね。
その人なりのがんばりを認めて
初めて言葉になるのかな、なんて思っています。

さて、それから私は短いお礼の手紙を添えて
そのお宅に新聞を入れました。
数日後、またメモとレジ袋があり、
ちょっとした文通になりつつあります。

その日は、世界中の人に優しさの
おすそ分けをしたい気分でした。

まきちゃんより

まきちゃん、自分の家族はもちろん、
いろーんな人達に優しさのおすそわけしてください。
優しさって、あげればあげれるほど、
たくさん増えてくる気がします。

さて、わたしはまた今日から仕事で
10日間ほど札幌を留守にします。
もしかすると、ブログを更新するのが
むずかしいかもしれません。

でも、もし読んだ人がいたらコメントとかお願いします。



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乳がんの手術を決めて

今日はちほの文章です。
ちほは、去年の12月31日にも
乳がんについて書いていて、
今回のはそれの続きになります。

今回は乳がんの手術を決めてからの
話をしたいと思います。

手術を決めるまでに1年以上、
身体のことやがんについて
話を聞いてもらっていたので
決断した時には恐怖より
「私は十分向かいあった。
もう、がんに振り回されて生きなくていいんだ」
と思ったのを覚えています。

手術を決断してからの私は
さらに貪欲?に仲間に助けを求めました。
手術前後と入院中期間、
仲間に話を聞いてもらう計画を立てたのです。

過去に交通事故に遭った時に
話を聞いてもらうことで
回復が早かったことを実感していたので、
手術をすることで起きる痛みや乳房を失うことなども
乗り越えられることは確信していました。

しかし、予想していないことが起こったのでした。

無事に手術が終わり、麻酔から覚めた私は
家族や聞き合う仲間に囲まれて
安堵と喜びが湧いてきたのです。
身体とはなんて素晴らしいんだろうと
感激していました。

そして私は大好きな人たちに支えられて
生きているということと、
それを感じるのは
こんなにも嬉しいことなのだと気がついたのです。

以前は助けを求めるのはとても苦手でした。
でも、身体の危機に、遠慮も体裁も考える余裕はありません。
必死に聞き合うことをやるうちに
大切なことに気がついていたのです。

ちなみに痛みは術後の夜にやってきましたが、
鎮痛剤を使わなかったし、手術の傷も、
ふくらみのない胸もなかなかいいなと、今は思っています。

たくさんの時間を聞いてくれてありがとう。
かかわってくれたみんなが私の力になりました。
私もみんなとたくさんかかわりたいと思っているよ。

今の私は身体と心が危機にならなくても、
助けを求められる人でありたいと思っています。

お帰りなさい!ともちゃん

「親の時間、はちのへ」の代表のともちゃんが
3ヶ月半のピースボート南半球世界一周航海を終えて、
今日横浜港に帰ってきます。

ともちゃん、お帰りなさーい。
航海報告をまっていまーす。

ともちゃんから送られて来た写真を2枚紹介しますね。

イースター島 

イースター島にて

マチュピチュ ともちゃん

マチュピチュで





さくら〜、さくら〜

今日、あやうく転びそうになりました。
道路滑ります。
雪も降ってました。

でも、このブログでは、春爛漫、春るんるんの
桜の写真をお届けします。

相模湖の桜

相模湖で撮ったしだれ桜です。

それと、帰って来る日に日暮里で撮った桜です。

日暮里の桜

札幌では、今年いつ桜が見れるのかなー?

木下沢梅林

春たけなわ、春ムンムンの、
高尾、相模湖、東京を後に
雪が凍って、まだ道路がツルツルの
札幌に昨日の夜戻りました。

円山公園に降り立って、「うーん、寒い!」
と、まずは一声をあげ、
ダウンを着込み、マフラーをして、
帽子をかぶり、手袋を装着しました。
また今日から転ばないように歩かなくちゃ!

で、北に住んでるみなさんにプレゼントです。

木下沢梅林

木下沢梅

木下沢(こげさわと読むそうです)梅林に行ってきました。
写真を撮ってくれたのは、このブログの表紙の絵を描いた
あいこちゃんの弟のおさむちゃんです。
この家族は、一家全員アーティストなのです。
三泊四日お世話になりました。

わたしがオーガナイザーをやった、
大きな会議の後の滞在だったのですが、
よく眠れて、よく食べて、良い休暇が過ごせました。
ありがとうございます。



かわいいひよどりさん

今日から、会議と休暇のために
関東に行きます。
雪のない道路だーー。

もし、休暇中にブログをアップできたらしますね。
お花が咲いていたらいいなー。

ところで、家のベランダに毎日来てくれる
ひよどりさんです。
今年は、エサを探すのが大変だったらしく、
本当に良くきて、ときにはエサの催促もするんですよ。

ひよどり

すっごく、かわいいでしょう?


子どもを亡くすことは、悲しいことだけど不幸じゃない

今日は、としみの文章です。

私が「親の時間」を始めたのは、
春香(娘)が白血病で亡くなって5年目でした。

それまでは、悲しい気持ちを振り切るように
明るく振る舞ってみせたり、
泣いているところを家族に知られまいと
布団にもぐって泣いたり・・・
本当に苦しい毎日でした。

「親の時間」では、春香を突然奪われた悲しみ、
怒り、寂しさを聞いてもらいました。
泣いている私の傍に仲間の温かいまなざし。
たぶん、生れて初めての経験だと思います。
自分の心に正直にいる事を許された私は、
春香を助けられなかった罪悪感や後悔が
少しずつ小さくなっていくのを感じました。

そして、私がどれほど春香を愛していたか、
一生懸命病気と前向きに闘ってきたか、
春香と幸せな時間を過ごしてきたかを
想い出せるようになりました。

子どもを亡くした悲しみは、
地球上の悲しみの中で一番大きなものではないかと
私は思っています。
でも、悲しい経験ではあるけれど、
不幸じゃないとも思っています。
病院の限られた環境の中であっても、
いきいきと自分らしく生き抜いた姿に、
私がどれほど勇気づけられているか、
春香に感謝の気持ちでいっぱいです。

今、私はかつて春香と過ごした病院で
ボランティアをしています。
小児がんの子どもとお母さんと一緒に、
ゆったりとした時間を過ごしています。
私はこの時間が大好きです。
目を閉じると、いつでも春香が傍にいます。
春香の声が聞こえます。
「春香はママが大好きだよ、いつも一緒だよ」って・・・。
あらためて、春香が亡くなってからの10年間
よく頑張って生きてきたな~って思います。

最後に、「親の時間」の仲間達に感謝したいと思います。
親として生きることの素晴らしさ、
私という存在の大切さを気付かせてくれて本当にありがとう。

震災のこと

今日は、震災後仙台から北海道に移住した
のんちゃんの文章です。

また、3月11日がやってくる。
たった3分の揺れがすべての始まりだった。

私は地震の時、仙台の中心街の6階にいた。
震度6強の恐ろしい揺れが収まって、
一番最初に考えたのは、
「子ども、子どもは無事か」ということだけだった。
とにかく小学校に迎えに行こうと階段を駆け下りて、
初めて膝ががくがく震えていることに気づいた。

車のラジオでは、大津波警報が流れていた。

子どもたちを無事確保し、
私はリュックに水と食料をぱんぱんに詰め込み、
持てるだけの布団をもって避難所に行った。

半年以上たってから、
あのとき自分は貯金通帳も現金も何も持たずに
避難したなと思い出して、
ちょっと笑ってしまったことがある。

人はとっさの時、本当に自分が何を
一番大切にしているかわかるなと思った。
私にとって、一番大切なのは
とにかく子どもにご飯を食べさせて、
ゆっくり温かく寝せることのようだった。
落ち着いてから、
やっぱり通帳も持った方が良かったかもと欲が出たけれども。

夜の避難所では、
近くの海岸で2、300人死体が上がっているという
恐ろしいニュースが流れ続けていた。
けれども、もうあまり恐ろしいという感情もわかなかった。

人は本当にショックなことが続くと、
シャッターが下りてしまったように感情が
鈍くなってしまうのだと、初めて知った。

津波で流されてしまった、
夫の実家や車のことを思い出して
涙が出たのも何ヶ月もたってからだった。
「親の時間」で話を聞いてもらったり、
震災の場面をテレビで見て 
本当に怖かったという感情を感じることができる時、
私は今安全で幸せなんだなと思う。

3月11日のことはきっと一生忘れないだろう。
でも、本当に大切なのは、
あの日常が当たり前だった
震災の前日の3月10日だよ、
とある人が言っていた。

前日の3月10日の夜、
私は家族とどんな風に過ごしたか
よく思い出せなかった。
たぶん家族一緒にいつものように夕食を食べ、
お風呂に入って、明日も今日と
同じような日常がつづくと思って休んだと思う。
でも、震災以降、今日もこうして家族一緒に過ごせることは
本当にかけがえのないことなんだといつもいつも思う。
だから、夫とこどもには 
毎日できるだけ、すごく愛していることを
伝えておこうと思っている。

私は家族を誰も失わずにすんだ。
でもそれは奇跡でしかないといつも思う。
もし休日で実家に行っていたら、
季節が夏で海に行っていたら、
津波が近くの高速道路を越えて押し寄せていたら。
義理の父が「生かされているんだな」と言ったが、
本当にその通りだなと私も思った。

震災の夜、夜空の星がものすごくきれいだった。
街に一つも明かりがないと、
こんなにも星がきれいに見えるのだということも私は初めて知った。

円山公園で歩くスキー

順調にブログを書けていたのに、
3月1日に書いたきりになっていました。
今日は、もう5日です。

今日、円山公園にまた歩くスキーに行ってきました。
娘が一緒に行ってくれたので、一人でスキーをしていても
以前程恥ずかしくなかったです。
で、写真を一枚です。。。

歩くスキー

助けを求めていいよ!

今日は、こっちゃんの文章です。

親が社会からたくさんのプレッシャーを受けて、
それと同時に、潜在的に子ども時代の自分を思い出して
子育てしていると、とても苦しいよと、
こっちゃんは、説明してくれています。

子育てが苦しいのは、決してあなたのせいではありません。
ただ、助けがあまりにも少なくて、
心に余裕がなくなっているし、
自分が子どものころ、そんな親を見て来たので、
2重に苦しくなっているのです。

子育てが苦しいと感じたら、自分を責めるのではなく、
どうか、助けを求めて下さい。

それでは、こっちゃんです。

私が「親の時間」に初めて参加したのは3年前、
当時子どもは6歳、3歳でした。
その頃の私は、自分の理想の子育て
「子ども第一!自分はひたすら我慢!」
を信条に頑張っていました。
私自身が、いつもさびしさを感じながら育ってきたので、
子ども達に同じ思いをさせたくなかったのです。

でも、頑張れば頑張るほど、
まとわりついてくる子どもがうっとうしくて
邪魔くさくて仕方がないのです。
そしてそんなことを思う自分をいつも責めて、
体中が苦しい気持ちで埋め尽くされ、
口から耳から鼻からもうあふれだしそうなほど
いつも苦しさ満タンです、、、

「もう少し、手を抜いたら?」とまわりに言われても、
私が楽をしたぶん、子どもを苦しめそうでとても怖くて、
何をどう手抜きすればいいのかさっぱりわかりません。
他のお母さん達のように、うまくやり過ごせない自分をまた責めました。

「親の時間」に通うことを決めるのにも
かなり時間がかかりましたが
(自分のためにお金と時間を使うことに罪悪感があって)
でもとにかくそこで、泣いて泣いて泣いて、
苦しい気持ちをたくさん吐き出していきました。

そうして気がついたのは、
私は目の前の子ども達を通して、
実は過去の自分のことを必死に
慰めていたのだということです。

そうして今度は、小さい頃の自分を思い出して、
たくさんたくさん泣いてたくさんたくさん怒って
あの頃の苦しさを吐き出していきました。

目の前に、話を聞いてくれる誰かがいて、
そのまなざしに安心して感情を解放し続けると
本当に心も体も軽くなり、苦しさから解放されます。

あんなにうっとうしく思っていた子どもたちと、
今は心から楽しく仲よく関わることができるようになりました。

自分の人生は「どんなときも自分が主人公なんだ」と
考えることができるようになったし、
子どもがいても、夫がいても、
「私はいつだって自由に、しかも家族と仲良く、暮らしていけるんだ」
って 実感できるようになりました。

私にとって「親の時間」を通して得た仲間は宝だし、
聞きあう時間はライフワークです!!

プロフィール

わこ

Author:わこ
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