良い、お散歩でしたよー

とっても、わたくし事ではありますが、
タイに行った時に、タイマッサージで
足首をちょっと痛めました。
やったことのある人は、わかると思うけど
タイマッサージは、すごくハードです。
わたしのように、普段マッサージを受けない身に取って
あれは、結構きついです。

左の足から始めるのですが、
最初わかんなかったので、
強かったけど、こんなものなのかなー
と我慢しました。
太もものあたりまでやってもらったときに、
さすがに痛くて、
「痛い!」と叫んだから、その後は
ソフトになったのですが。。。
やっぱし、一番最初に手がけた足首を
やられてしまいました。

でも、2週間前頃には全然痛みもなくなって、
絶対完治したと思い、
近所の円山(標高226mで、幼稚園児も登れます)
に登りました。
登りは全然痛くなかったのに、
下山になったら、完治したはずの足首が痛みだしました。
でも、登りは途中でやめれても
下りはやめるわけにはいきません。
我慢して頑張っていたら、
今度は膝まで痛くなってしまったのです。

と、前置きが長くなったのですが、
そういう理由で、円山公園にもお散歩に
行っていませんでした。

でも、昨日久しぶりに、お気に入りの
原っぱに行ってきました。
きっと草ぼうぼうだろうなーと思ったら、
なんと!
きれいに、刈ってくれていました。

原っぱ2

ほら!すごいでしょう?


原っぱの木

この木さん達に見てもらって、
空手の練習をして

原っぱから見た空

この空を見て、
ピラティスを少しやってきましたよ!

その後、円山公園の近くの”すぎはら”
という良心的なスーパーで、夕食の材料を買って、
歩いて帰りました。

良い、お散歩だったなー。


スポンサーサイト

亡くなったおばあちゃんのこと

今日は、まきちゃんからです。

つい先日、義母のお母さんが亡くなりました。
97歳でした。
義母曰く、「眠るように・・・・・、ってこう言う感じなのか」
と思うほど穏やかに息を引き取ったそうです。
私も4年間同居をしていたこともあり、
葬儀の間、おばあちゃんを思い出していました。

だいぶ認知症が進んでの同居は楽しいこともあった反面、
私が幼かった娘の子育て中だったこともあり、
苦言を言われることも度々ありました。

大正生まれで、戦争真っ只中で夫が戦死し、
お腹に赤ちゃんがいて幼子もいて、
行商と保険のセールスをしながら
厳しい戦後を生きてきたおばあちゃん。
おそらく、泣くことも我慢して生きてきたのでしょう、
娘が泣くと、「泣かせないように上手に育てなさい」と
よく言われたものでした。

「親の時間」では「泣きたいときは、泣いていいよ」
と言ってもらえます。
「その時感じている自分の気持ちを
素直に認めることはとても大切なこと」
「親の時間」で最初に知ったことでした。
悲しさや、辛さを乗り越える手順みたいなもので、
感情を出したその先に辿り着きたい答えが
待っているのだと私は思っています。

なので、私は泣きました。
棺の中で眠るおばあちゃんと最後のお別れの時、
むしょうに寂しくて、涙が後から後から流れてきて
止めることが出来ませんでした。

一般的には、おとなは人前で泣かないのが当たり前なので、
私は、泣きたい時には、感情を思いっきり見せてもおかしいと思わない
「親の時間」の仲間に聞いてもらうのですが、
お葬式ですから、泣いてもよい場所だと思って、泣きました。

同居をしていたとき、気ぜわしい毎日の中で
おばあちゃんだけは、ゆっくりのんびり。
「私は少食なの」と始終お菓子をほうばり、
テレビを見ながらひとり言を繰り返していたおばあちゃん。
短い時間だったけど、大切な思い出です。

そして私は、おばあちゃんの「死」を通し
4年前に亡くなった母をまた思い出して、
「親の時間」の仲間に話を聞いてもらっています。
それは、私がどれだけ母のことを好きなのか、
感じる時間でもあるのです。

まきちゃんより

東京のはるちゃん

先週末、ワークショップをやるために
東京に行ってきました。

梅雨の東京、ジメジメしているんだろうと
覚悟して行ったのだけど、
涼しくて、紫陽花がとてもきれいでした。

一泊させてもらった友人の家に
もうすぐ1歳半になるはるちゃんという
女の子がいます。
わたしは、はるちゃんと遊ぶのが、
本当に嬉しくて、毎回とても楽しみにしているのです。

はるちゃんは最近絵本が好きで、
一緒にいろいろ読みましたが、
今回、作家のことが
すっごく羨ましくなった
一冊がありました。

この絵本、書いてあるのが、
ほとんど二語のみ。それは
「がったん、ごっとん」
はるちゃんが、ページを開いてくれるのですが、
どのページも、「がったん、ごっとん」

はるちゃんは、わたしがそれを読む度に
身体を上下させて、嬉しそうにします。

たった、二語でこれほどまでに
はるちゃんの心をつかんでしまうなんて。。。

ちなみにこの本、長い間ベストセラーなのだそうです。
うーん! やっぱし、うらやましい!


紫陽花

はるちゃんのお家の前にあった紫陽花です。
雨が降っていて、紫陽花さんたち、嬉しそうでした。


はるちゃん 動物園

昨日、はるちゃんは両親と動物園に行ってきたそうです。
何枚か写真を送ってくれたうちの一枚。
昨日、東京はすっごく暑かったらしいのですが、
しろくまさん、元気だねー。
さすが、東京のしろくまだね。

娘を応援する

ちほの文章です。

16歳になった娘がこの街を離れ、
新しい環境で暮らして1ヵ月が過ぎました。

見送りの時は、
空港で娘も私も泣き通しでした。
娘と離れるのはこんなに
寂しいものなのかと思いました。

今は、毎日新しい場所で頑張っている様子を聞いたり、
現地の仲間とリラックスしている画像を見ると、
『本当によくやっているなぁ』と
娘ながら関心してしまいます。

先日、私は娘を怒らせてしまいました。
インターネットのコミュニティーサイトで
娘が、あまりにも本音を言い過ぎている気がして、
「非難されるかもしれないから削除したほうがいい」
と忠告したのです。
その私の忠告に、娘は反発して怒ってきました。

わたしは、それに対し、なぜ娘がそんなに怒っているのか
さっぱり意味がわかりませんでした。
むしろ、私の方が正しいだろうとさえ思っていました。

そのことを仲間に聞いてもらううちに、
10代の私は本音を言える人がいなかったと
感じていたことを思い出したのです。

私は中学校に入って感じた戸惑いを
無意識に友達に話した時に、
グループで忠告されてから
「もう本音は言うまい」と決めました。

もちろん、親や先生は口うるさくて、怒られるだけだし
その大人達に話を聞いてもらいたいと
思ってもいませんでした。

私は、娘が仲間や親に本音を言っているのを見て
本当は、娘のことが羨ましかったのです。。

娘は、中学校を卒業したら、
親と離れて暮らすという決断する時も
自分でたくさん情報を集め、
助けてくれる人たちを作っていきました。

信頼できる人を見つけて、
大きなチャレンジをすることは、
私の10代の時には、
全く考えられなかったことでした。

本当の気持ちをただ聞いてくれる人がいたら
どんなに力になっただろう?
自分のチャレンジを応援してくれる人がいたら…と
10代の私の気持ちが沸き上がってきたのです。

辛い気持ちとうらやましさを仲間に聞いてもらい、
忠告されても娘にとっては、
何の助けにもならなかったのだと良くわかり、後で謝りました。

子どもが10代になって、実質的に
手をかけることがほとんどなくなってきました。
今回のように間違えて邪魔してしまい、
怒られることもあります。

でも、私はこれからも娘と、
さらに良い関係を作りたいし、
遠く離れていても、
時に娘に対し腹のたつことがあっても、
大好きな娘が、自分の人生にチャレンジしていることを
本当に心から応援し続けていきたいと思っています。

ちほ

わたしの原っぱ紹介します!

札幌は毎日快晴でよいお天気続きです。

で、わたしは昨日また近くの
円山公園にお散歩に行ってきました。
この近くにわたしのお気に入りの
原っぱがあるのです。
ほとんど人が来ないので、
いつもわたしだけの
空間を満喫できる場所なのです。

昨日はこの原っぱで、
青空を見ながらピラティスをやって。
読まなくてはならない英語の資料を読んで、
ついでに空手の練習もしてきました。

裸足で、葉っぱの上で運動するって、
すごい気持ちがいいですよ。

空き地入り口

ここが原っぱへの入り口で、

空き地

ここが原っぱです。
この空間、全部わたし一人で使えるの!
贅沢でしょう!!

みんなも、是非自分のお気に入りの場所探してみてね。

どうにもならないことに立ち向かう!

今日はとしみの文章です。

どうにもならないこと、
絶対に叶わないことが私にはあります。
それは、娘を抱きしめること。
何故なら、娘はもうこの世にはいないから。

小さな頃から、私は色々なことを諦めてきました。
そう、どうにもならないことがあると
「だって、仕方がないでしょう!!」
と、自分自身に言い聞かせてきました。
だから「春香(娘)に会いたい、
抱きしめたい」そんな、どうにもならない気持ちを
「親の時間」の親たちに言うことに
強い抵抗がありました。
正直、言ってもどうにもならないことを
言って何になるんだろうか?とさえ
思っていました。

初めは恐る恐る、
ちいさな声だったと思います。
言った途端、私の心に閉まってあった
悲しみや怒りという感情のエネルギーが
とてつもなく湧いてきたのを覚えています。

春香が白血病になり
亡くなってしまったことを
仕方がないと自分に言い聞かせ、
私のせいなんだと、自分を責めて
過ごした日々から一歩前進した瞬間でした。

今も、私は春香に会って
抱きしめたいと思っていますし、
一生それは叶わないことに変わりありません。

でも、私の心は大きく変化しました。
心の傷は癒えて、生きていくのが辛くなくなりました。
春香が残してくれた、たくさんの
メッセージに向き合う勇気もできました。

春香を産んで、本当に良かったと
思えるようになりましたし、
春香もきっと、生まれて良かったと
思っていると、感じられるようになりました。

どうにもならないことに向き合う時、
恐怖や無力感が襲ってきます。
それでも負けずにやってこれたのは、
「親の時間」の仲間が一緒だったから。
仲間の励ましがあったから。
みんな、ありがとう!
これからも、よろしくね!!
としみ

としみの文章を読むと、
人間って、どんなに深い悲しみからも
必ず立ち上がれるんだって、
勇気が湧いてくるし、とてもとても励まされます。

としみが、「親の時間」の仲間だということが、
わたしたちにとっても、すごく大切なことです。
ずっと、ずっと助け合っていこうね。

わこ






タイで起こったこと

タイでのことを3ヶ月毎に「親の時間」のメンバーに
配布している、「わこからの手紙」に載せました。

それを、このブログにも掲載します。
(ブログは最後に写真もつけました)


タイでは、最終日だけバンコクに1泊しましたが、
他はずっとRayong県のKaochamaoという、
小さな村の果樹園に滞在しました。

友人の夫婦(ノックとマイ)で経営している
果樹園の夫(マイ)が尊敬している人は、
自然農法の創始者とも言われている
福岡正信さんというだけあって、
果樹園はなるだけ自然農法にそって栽培され、
もちろん全て無農薬です。

安全な南国の果物を毎日食べ放題という
恵まれた環境で過ごしてきました。

いろいろな鳥の声で目が覚め、
小さな湖の上に建っている壁のない
オープンキッチンダイニングで、
穫りたての野菜を使った朝ご飯と、いろいろな果物
(わたしのお気に入りは、マンゴスチンでした)
を食べる毎日でした。

夜になると、あっちこっちから
これもわたしのお気に入りのやもり(いもり?)が
カサカサ音をたてながら出てきて、
蛍が飛び、いろいろな種類のカエルが鳴きはじめます。

夜中に目が覚めたときがあって、
カーテンのない窓から、湖に光る月と、
蛍が飛んでいるのが見えて、
何か夢をみているように美しかったです。

と、こんな風に書いていると、
のどかなタイの田舎でのんびり過ごしたように思うでしょうが、
わたしは今回かなり特別な経験をしたようなのです。
何故、ようなと書いたかというと、
その特別な体験の記憶が全くないからです。

簡単にいうと貝による食中毒なのですが、
わたしがネットで調べたところによると、
貝にドウモイ酸という毒性分が含まれていたらしく、
それがなぜかわたしにだけ作用して、
記憶喪失になったのです。
食中毒の一種ではあるので、
同時に嘔吐、下痢、腹痛を起こし、
記憶がなくなっただけでなく、
最終的には足腰が立たなくなって、
意識までなくなり、病院に運ばれました。

幸い、妹が看護師という職業柄、
あまりあわてもせず、医者と話して、
つきっきりで世話をしてくれたおかげもあり、
わたしは回復したのですが、
本当に全く記憶がないのです。

10回以上も嘔吐と下痢を繰り返し、
くの字に身体を曲げて腹痛を訴えたらしいのですが、
痛かったというのも、吐いたというのも記憶にないし、
マイがわたしを抱き上げて病院に運んだことも、
診察と治療にあたった医者や看護師二人の顔もまるで覚えていません。

その医者は、食中毒で記憶喪失になった
患者を見たことがなかったらしく、
異例なのでバンコクの大きな病院に行った方が良いと
薦めたらしいのですが、わたしの苦痛が緩和され、
点滴で顔色も戻ってきたので、妹は一日様子を見ることに決めて
ノックとマイの家に帰りました。

腹痛を訴え始めたのが午後2時頃で、
病院を出たのが夜8時ぐらいだったのですが、
その間の6時間が空白です。
なにしろ前の日の記憶がないため、
次の日とても心配になって妹にどこで吐いたのかと、
尋ねたら、ちゃんとトイレに行っていたそうです。
「ここはどこ?」「何でタイにいるの?」と
何度も妹に質問したと言うから、
自分がどこにいるのかもわからないのに、
ちゃんとトイレに入るという人間の習性に、
感心したり、ホッとしたりしました。

ところで、最近のわたしのお腹はとても調子がいいです。
何か、胃腸の中の悪い物が全て排泄された感じです。

記憶がないために、
痛かったとか苦しかったとかの感覚は、
身体に残っていませんが、
もしかすると生死をかけたものだったのかも
しれないという感じはしています。

なので、最近のわたしは、
時々「わたしの身体、生きているなー」って、
意味もなく自分の身体が愛おしくなって、
感動しています。

わたしの身体、かなり頑張ったみたいです。
生きてて良かった。
(こんな風にブログがかけるのも嬉しいです。)

それと、タイでお世話になったノックとマイと、
妹の優しさも思い出し、
自分の身体を大切にするためと、
わたしのことを考えてくれる周りの人達の
誠意に答える為にも、
大好きな貝ですが、
しばらく食べないでおこうって思っています。

以下写真3枚です。

果樹園は広いし、果物は重いので、
移動と収穫のために、バイクや自転車に
リヤカーの荷台みたいなのをつけた乗り物が必需品です。
そうすると、

子ども自転車

子ども用の自転車もこんな風になっちゃうんですね。


タイは、タイ仏教が宗教として主流で、
男性は20歳になるとみんなお坊さんの訓練を受けるのだそうです。
ここは、お坊さんが起居するメディテーションセンターの中です。
窓が全くなくて、とても見晴らしの良い場所でした。

メディテーションセンター

この日、この後2時間後に、わたしは記憶喪失になりました。

とてもお世話になったノック(中央)の
オープンキッチンダイニングです。

ノックのキッチン

3人お揃いのタイパンツに注目ください。
ノックが縫いました。
「わたしも作りたい」言ったら、優しいノックが型紙をくれました。
この夏、わたしも頑張ってぬってみようと思います。




『親の時間」の良いところ

今回は、のんちゃんです。

私は「親の時間」で、最初にみんなでまわす
「良かったこと」を、聞くのも話すのもとても好きです。

初めて「親の時間」に参加したとき、
「最近のよかったことは?」と聞かれて、
自分が毎日の生活の中で良かったことが
全然見えていないことに気づいて、
びっくりしたことを覚えています。

その頃、罪悪感や悲しみ、将来への不安や、
迷いでいっぱいだった私は、
毎日の生活の中に沢山あったはずの、
良かったことが、何も見つけられなくなっていたようでした。

人は苦しくてストレスがいっぱいあるとき、
子供のかわいい笑顔も、周りにある素敵なことも、
何も受け取れなくなってしまうのだなーと思いました。

初めは親の時間で「良かったこと」を話すために、
日常生活の中で良かったことを見つけることに
焦点を当てていたような気がします。

今は、今度このおもしろかったこと聞いてもらおう、
うれしかったことを聞いてもらおうと思うことが
とても楽しみです。

日常の生活の中に、些細な嬉しいことや、
おもしろいことを感じられることが
幸せなのだと思います。

「親の時間」は本当にいい方法だなーとすごく思います。
そして続けるほど、どんどんいいなって思っています。

気持ちを聞いてもらえるだけで、
こんなに楽になったり、前に進む勇気がもらえたり、
今度これを聞いてもらえばいいから
それまでこの気持ちをチョットおいておこうと
思えたりすることが私にはすごくいいです。

その上、一方的に聞いてもらうのではなく、
互いに平等にサポートし合えることが
いいなと思います。
自分も何かできると思えることがいいです。

メンバーのことも。まだそんなに
深く知っているわけではないのに、
信頼して気持ちを聞いてもらえて、
聞いてもらえたら大丈夫と
心強く思えのるは何なのだろうと思います。

女の人一人が幸せになったら、
周りの人100人から150人
幸せになると聞いたことがあります。

お母さんが自分をいいなと思えて
元気で生き生きとできたら、
子供も夫も幸せで、人を信じて、
もっと人を大事にできるような
いい世の中になるのではと私は思います。

「親の時間」に出会えて良かったと思います。
みんな、ありがとう。感謝です。

のんちゃん
プロフィール

わこ

Author:わこ
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
QRコード
QR