子宮筋腫の手術で

ふーちゃんからです。

痛みについて考えたこと

10月の始めに子宮筋腫の手術をしましたが、
どうやら特別に回復が早かった様なので、
わたしの経験について書いてみたいと思います。

腹腔鏡を使って、お腹に小さな穴を3つ開け、
子宮は残して筋腫をとるという術式で
手術をおこないました。

手術当日はベット上の安静でしたが、
次の日の朝には歩いてトイレに行き、
手術の2日目には退院という
凄まじいスケジュールで家に帰ってきました。

この予定は始めから決まっていて、
この術式ではこれが普通だそうです。

手術が終わって、病室に戻ってすぐは、
お腹の全部がひとかたまりで痛みました。

でも、手術後2~3時間したら、
どこが痛いのかがハッキリしてきました。

上をむいて寝ている状態から
左に寝返りをうつ時は、左の傷が痛みます。
でも完全に向いてしまえば痛みは感じませんでした。

右側を向く時、右には2つの穴の傷で、
その一つはカメラが入っていたやや大きな穴だったので、
左よりも痛みは強いです。
しかし、こちらも完全に右側を向いてしまえば
痛みはありませんでした。

膝を立ててお尻を上げたらどうかな?
これまた、大したことありません。
なんだか面白くなり、片足を上げたらどうだろう?
いける、いける。
両足上げたらどうだろう?
こちらもいける、いける、
色々試したところ、
くしゃみと咳が一番の痛みでした。

じゃあ~それ以外は、大したことないと思えました。

なので、手術の後の痛み止めは
使いませんでした。
それには、2つの理由がありました。

その1つめは
この痛みは、私の身体が手術の傷を治そうと
全力で頑張っている痛みで、
痛み止めを飲むとその回復も止める事になるから。

もう1つの理由は、
「親の時間」のわたしの友達の一人が、
もっと大きな傷の手術をしたにも関わらず
痛み止めを使わなかったのを聞いていたからです。
彼女の手術の傷に較べたら、
わたしのはその何分の1かぐらいの小さなもので、
痛み止めを使う必要があるわけがない、
と決めていたからです。

ちょうど(この原稿を書いている)2日前に、
手術後3週間目の診察がありました。
診察の待ち時間、偶然にその時に同じ病室で
同じ手術日の3人が顔をあわせて、
手術後の話に花がさきました。

ひとりの人は、入院中に痛みが怖くて
一度も寝返りがうてなかったそうです。
そのせいで退院してからも、
背中と腰の痛み、傷の痛みで
1週間位は痛くて鎮痛剤を使っていたそうです。

もう一人の人も、痛みが怖くて
痛む前に鎮痛剤を飲んでいたそうですが、
2週間は痛みがあったそうです。

私は、退院した時は、「いててて」と
背中を丸めて退院したものの、
退院した次の日の夕方から
スウッと痛みが無くなり、
一番痛いはずのクシャミの痛みも
気にならなくなる程でした。

入院前にもたくさんの人に、手術の恐怖や心配な事、
多くの事を聞いてもらい、手術後も「痛い痛い」を
「親の時間」の仲間にたくさん聞いてもらいました。

その事で自分の考えが整理でき、
混乱せずに自分の身体と向き合い、
本当に必要な事が見えてきたのだと思います。

「痛い痛い」を聞いてもらうと、
本当に痛みがなくなります。
痛いという感覚は、テレビで見る毒々しい映像の記憶や
今までに痛みを感じた記憶と
感情が一緒になって痛みを増強させている気がします。

「親の時間」の聞き合う仲間がいてくれたから、
自分で多くの事を決めることができて、
心から感謝しています。

後日談ですが、手術の前日に主治医から
「やはり、子宮全摘手術に切り替えませんか?
それの方が手術も簡単だし、出血も少ないです。
子宮を残すと腺筋症もあるので、
増殖する可能性もあります」と言われました。
貧血が強かった私は、子宮全摘をしようかと、
迷いでグラッときたのですが、
「いえ、子宮を残す手術でお願いします」と断りました。

先日の診察で「細胞の検査では腺筋症はなかったです。」
と主治医から言われました。
「私の大切な子宮を取らなくて良かった~」
やはり、自分の決断は大切だなとつくづく思った瞬間でした。

ふーちゃん


i痛み止めを使わないって、かんたんに見えて
なかなか難しいことなので、
ちょっとコメントを書き足します。

ふーちゃんも書いていたように、
「痛い」の感覚には、小さい頃や
若い時に体験した過去の痛みも
付着しているので、痛み自体が増幅して、
大きな恐怖になってしまいます。

そのため、ほとんどの人が、些細な痛みにさえ
恐怖を持っているので、痛みを止めるために、
すぐに薬を使用してしまいます。
それは、小さい頃から「痛い」を
聞いてくれる人がいなかったので、
「痛い」と言ってはいけないと思っているからなのです。

だから、どんなときに薬を使うかの判断ではなく、
痛みは常に薬で止めるものと、認識されています。
でも、それはある意味危険なことでもあります。
何故なら、ふーちゃんも書いているように
わたしたちの身体だけでなく、精神の治癒力全体にも、
ストップをかけることになるからです。

ふーちゃんは、痛み止めを使わないと決めて、
身体の「痛み」にしっかり向き合うことで、
困難な大きな恐怖、つまり精神的な「痛み」にも
しっかり立ち向かったのです。

ほんと、よくやったね!
これから、ますます自分の身体の声が
聞けるようになると思いますよ。

わこ
スポンサーサイト

道産子

土曜日と日曜日、カウンセリングの研修のため
岩見沢に行ってきました。

カウンセリングの研修は、
参加者全員と充実した時間を過すごとができました。

日曜日の早朝にお散歩したら、
白鳥の群れが一直線を描いて飛んでいるのを
見ることができました。

紅葉した山に虹がかかっていたのも美しかったです。

そして帰りに見たのがこの道産子ちゃんたちです。
かわいいでしょう!!

道産子馬3


道産子馬2


道産子馬1


北大植物園でアイヌ文化を受講しました!

娘に誘われ、今月から8回シリーズで、
「まちなかで触れるアイヌ文化」の講座を、
大通高校の生徒たちと一緒に受講しています。

で、昨日がその3回目だったのですが、
現地学習で北大植物園に行ってきました。

札幌に住んで20年になるのに、
植物園に行ったのは初めてで、アイヌ文化の講座として
行けたのは、とてもよかったです。

この植物園の中には、1000年前の竪穴式住居の穴が
はっきりと残っていて、そのすぐ傍にこの木がありました。

植物園の木

おもしろい形でしょう?

ビルが建ち並ぶ街の中心部なのに、
原生林の面影を残す大木がたくさんあります。
大正の終わり頃までは、その辺各所から
泉が湧き出ていた場所なのだそうです。

植物園の入り口のすぐ傍にある北方民族資料室の中で
アイヌ民族の「イオマンテ(熊祭)」の映像を流していました。
昭和10年に撮ったもので、見ているのが辛くなる場面もありましたが、
自然が過酷で美しいこの北海道で、
人間が野生動物とどのように共存してきたかがわかる
とても、とても興味深い映像でした。

ところで、植物園の真向かいにある建物「かでる2.7」で
木曜日の「親の時間」のクラスを行っています。
そして、「かでる2.7」の6階に、談話スペースがあるのですが、
ここから植物園を見下ろすことができます。
藻岩山、円山、三角山、手稲山も見えますよー。
クラスに参加した帰りにでも、その風景を楽しんで下さい!!


東京での体験クラスと収穫

先週末、また東京に行ってきました。

「親の時間」の体験クラスもやりました。
新しい人が6人参加してくれて、
とても良い時間を過ごすことができました。
東京の窓口になってくれているみきちゃんが、
メンバーの人達とも協力し合って、
本当に良く動いてくれました。
心から、どうもありがとう。

ところで、帰り道におもしろい実をみつけました。

これです。

東京で

小さな実なのですが、ツタのような葉っぱに隠れて
赤と緑の実をつけていたのです。
あんまりにも可愛くて、一つずつ貰ってきてしまいました。
(バックに入れてたら、赤い方がちょっとつぶれていました。
  悲しいー!)
誰か、この植物の名前知っている人いるかなー?
わたしは、初めて見たのですが。。。。。

ビワの葉っぱに載せています。
(このビワの葉っぱも東京で4枚収穫してきました)
ビワの葉は、喉が痛い時に、ハンカチにくるんで
首に巻くのです。
気のせいかもしれないけど、痛みが少し楽になるんですよ。


娘の話しが、聞けるようになったよ!

「親の時間」のメンバーの文章が続きます。

今回はいっこです。

「親の時間」をやっていていいことの一つは、
子どもが、いいことも、困っていることも
よく話すようになること。

そして、親の私はそれを面倒くさが らずに
楽しい気持ちで聞けたり、
優しく受け止めたりできるようになることです。

でもやはり、最初は私も娘の話しを聞くのが
とてもむずかしかったです。

私の娘が一人暮らしを始めたときに、
娘のことを心配する気持ちがあまりに強くて、
どんな気持ちで毎日を過ごしているのか、
聞くのがとても つらくなってしまいました。

きっと娘は「頑張って、充実した学生生活にしよう」という希望や
「心細い、やっていけるかな」という不安、
「ここ は、お母さんに協力して欲しい」など、
いろんなことを考えていたと思います。

でも私ときたら、「大丈夫かい?さびしくないかい?さびしいんでしょ う?」
という言葉を言いたくて仕方がなかったのです。

そのことを、「親の時間」で話して、
温かいまなざしで聞いてもらったら、
私自身が一人暮らしを始めたときのことを思い出しました。

その頃の私は、親の期待に反して親元を離れたことや、
それでも親が経済的に支援してくれていたことから、
絶対に弱音を吐かない、親に心配をかけな いと、
固く心に決めていました。
そして、そのことをバネにして頑張ってもいました。

けれども、本当は、すごく寂しかったし、心細かったのです。
若い頃心の奥にしまいこんだ寂しさを、
泣きながら話して、聞いてもらったら、
胸につかえていたもやもやが、消えてすっきりしました。

そうしたら、遠く離れて 暮らしている娘のおしゃべりを、
楽しめるようになったのです!
そして娘も、時には、つらい気持ちを打ち明けるようになりました。

温かいまなざしで話を聞いてもらったり、聞いたりする、
「親の時間」の仲間との関係は、
私が子どもと向き合っていくのをいつも支えてくれています。

みんな、ありがとう!

いっこ

自分自身を責めることが少なくなった理由

みゆの原稿です。

つい最近、自分のことなのに、腑に落ちずにいたことが
理解できるようになりました。

私は幼い頃から、胸の中で強く拳を握っていました。
父から暴力を受けながら育った私は
「大人なったら同じ目に遭わせてやる!」と誓っていたのです。

負のエネルギーではありましたが、
その日を生きるための活力になっていました。

それとは対照的に、夢見がちな子どもでした。

現実があまりにも辛いせいで、
空想の世界に浸っていたのでしょう。

それゆえに、私は本が好きでした。
特に「レ・ミゼラブル」「モンテ・クリスト伯」が気に入っていました。
虐げられた人々が、復讐を遂げる物語が
私の心中と呼応したのですね。

「足ながおじさん」にも強く惹かれました。
誰か優しい人に、いつか迎えに来て欲しいという気持ちが
そう思わせたのでしょうか。

自分の好きだった本のことを思い出し、
面白いなあ、そういう意味がちゃんとあったんだーとわかって、
ちょっと、複雑な気分です。

「親の時間」と出会ってから、
私の中の曖昧だった問題が、
ひとつひとつ解明しつつあります。

もし他の人を憎むような、
自分が持ちたくない気持ちが生まれても
それには、何かしら理由があり、
「私が酷い人間だからじゃない!」
と思えることで、自分自身を責めて辛くなることが
ずいぶんと少なくなりました。

みゆ

今日の札幌、何か落ち着かないお天気です。
風が強くて小雨が降っていたかと思うと、
急に晴れてきて、お日様がでます。

で、虹もでましたー。

虹

カツラの木の香り

昨日の札幌は一日中快晴で、良いお天気でした。
わたしは、5本指スニーカーを履いて、
円山公園のあたりをお散歩しました。
紅葉を始めている木々もたくさんあって、
葉っぱの隙間から、太陽の光が漏れてきて
とても美しかったです。

アカハダとシジュウカラの種類の
野鳥も見ることができました。

そうそう、先週広島の可部に行って、
講演会と「親の時間」の体験クラスをやりました。
新しい素敵な出会いがたくさんありました。
可部の、子どもネットワークのスタッフの人達とも
再会できてとても嬉しかったです。

で、鳥の話しに戻るのですが、
可部に行ったら、わたしは川岸を散歩するのが日課です。
そのとき、綺麗な青色のかわせみを見ましたよ。
カワセミを見ると、なんか幸せな気持ちになります。

で、また円山公園に戻りますが、
今、円山公園は、すごく、すごく良い匂いがします。
わたしがダーイ好きな香り、カツラの木の葉っぱの匂いです。
落葉し始める今が最高に良い香りなのですよ。

愛情を言葉にして伝える

ともこからです。

「愛情を言葉にして伝える」

子ども達が5歳のころの話です。

その頃は、毎日の家事や育児に追われて、
大好きなはずの子ども達が、時々煩わしく、
面倒な存在に思えて、苦しく感じていました。

同じ頃に、「親の時間」のクラスの中で、
たくさんの事に追われているような状況、
気持ちを一時横に置いておいて、
子ども達のことを、本当はどんなに好きか、
ただ思い出してみるという時間を持ちました。

子どもの話しをしているうちに、
涙がたくさん出てきて、
どんなに愛しく、大切に思っているかを
感じることができました。

私の子ども時代のことを振り返ってみたら、
自分が母に愛されているかどうか
わかりませんでしたし、「私の事好き?」と聞くことも
怖くてできませんでした。

そこで、子どものことを思うだけじゃなく
言葉できちんと伝えようと決めました。

子ども達に「大好きだよ」と伝えると
二人とも「○○も○○○もママが大好き」と言って、
ぎゅーっと抱きしめてくれました。
愛情を言葉にして伝えるって、
すごく幸せなことなんだ、と知ることができました。

そして、また思えなくなったら、
自分を責めずに、私の話しを聞いてもらって
思い出そうと考えられるようになり、少し楽になりました。

親の仕事は膨大で、これでいいというものがありません。
その中で迷い、苦しみます。
きっと私の母も同じなんだと気づきました。

今は、私も親に愛されていたとわかるようになりました。
だから、母にも言葉にして愛情を伝えられたらいいなと
思いながらも、実際はできていなかったので、
これを機会に実行したいです。

 ともこ
 

優しい父

私の父は83歳ですが、80歳の頃から
認知症の症状が出てきました。
とても穏やかな優しい人で、
私は幼い頃から父に叱られた事がほとんどありません。

その父が一週間前に、40度の高熱を出して
救急車で運ばれ、そのまま入院しました。
尿に細菌が混入して急性腎盂炎に
なりかけていたのが原因でした。

最近の父は、毎日の日付を覚えていられない為に、
数日後に予定していた尿検査が、
今日なのか明日なのかと、気になってしかたなかった様です。

おまけに看護婦さんから「おしっこを我慢して来てネ」
と言われていたので、真面目な父は
トイレに行く回数を減らしてしまった様なのです。

今は熱も下がり退院しましたが、
入院生活で環境が変わったせいか認知症が進み、
永年住み慣れた家なのに、引越して来たばかりだと
思い込んでいて、「周りに挨拶に行かなくては・・・・」
などと言ったりします。
すぐ向かいに住んでる私にも、
「そんなに近くに居るならちょくちょく遊びにおいで」
と嬉しそうに言います。

小さい頃は、父の仕事が忙しくて、
遊んでもらった記憶はほとんどありませんが、
父が退職してから私に双子が産まれたので、
育児にはずいぶん協力してもらいました。

授乳時間になると忘れずにやってきて、
一人分のミルクを飲ませてくれて、
それだけでもずいぶん助かりました。

私が働いてからは、保育園の送り迎えをしてくれたり
二人を公園に連れ出してくれたりと、
その時もとても助けられました。

そんな優しい父なのに、
作り話や同じ話を何度も何度も聞かされると、
うんざりする事があります。
話の内容には勘違いや他人への悪口もあり、
私の心に余裕のない時には面倒で
顔すら見たくなくなります。

私は、毎日『親の時間』の仲間と電話で
話を聴きあう時間を10分ずつ持っています。
気になっている事を、感じたまま話せるので、
心がとても軽くなります。

話を聴いてもらうと、少し心に余裕が生まれて、
また父の顔が見たくなります。

みっちゃん
プロフィール

わこ

Author:わこ
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
QRコード
QR