震災のこと

今日は、震災後仙台から北海道に移住した
のんちゃんの文章です。

また、3月11日がやってくる。
たった3分の揺れがすべての始まりだった。

私は地震の時、仙台の中心街の6階にいた。
震度6強の恐ろしい揺れが収まって、
一番最初に考えたのは、
「子ども、子どもは無事か」ということだけだった。
とにかく小学校に迎えに行こうと階段を駆け下りて、
初めて膝ががくがく震えていることに気づいた。

車のラジオでは、大津波警報が流れていた。

子どもたちを無事確保し、
私はリュックに水と食料をぱんぱんに詰め込み、
持てるだけの布団をもって避難所に行った。

半年以上たってから、
あのとき自分は貯金通帳も現金も何も持たずに
避難したなと思い出して、
ちょっと笑ってしまったことがある。

人はとっさの時、本当に自分が何を
一番大切にしているかわかるなと思った。
私にとって、一番大切なのは
とにかく子どもにご飯を食べさせて、
ゆっくり温かく寝せることのようだった。
落ち着いてから、
やっぱり通帳も持った方が良かったかもと欲が出たけれども。

夜の避難所では、
近くの海岸で2、300人死体が上がっているという
恐ろしいニュースが流れ続けていた。
けれども、もうあまり恐ろしいという感情もわかなかった。

人は本当にショックなことが続くと、
シャッターが下りてしまったように感情が
鈍くなってしまうのだと、初めて知った。

津波で流されてしまった、
夫の実家や車のことを思い出して
涙が出たのも何ヶ月もたってからだった。
「親の時間」で話を聞いてもらったり、
震災の場面をテレビで見て 
本当に怖かったという感情を感じることができる時、
私は今安全で幸せなんだなと思う。

3月11日のことはきっと一生忘れないだろう。
でも、本当に大切なのは、
あの日常が当たり前だった
震災の前日の3月10日だよ、
とある人が言っていた。

前日の3月10日の夜、
私は家族とどんな風に過ごしたか
よく思い出せなかった。
たぶん家族一緒にいつものように夕食を食べ、
お風呂に入って、明日も今日と
同じような日常がつづくと思って休んだと思う。
でも、震災以降、今日もこうして家族一緒に過ごせることは
本当にかけがえのないことなんだといつもいつも思う。
だから、夫とこどもには 
毎日できるだけ、すごく愛していることを
伝えておこうと思っている。

私は家族を誰も失わずにすんだ。
でもそれは奇跡でしかないといつも思う。
もし休日で実家に行っていたら、
季節が夏で海に行っていたら、
津波が近くの高速道路を越えて押し寄せていたら。
義理の父が「生かされているんだな」と言ったが、
本当にその通りだなと私も思った。

震災の夜、夜空の星がものすごくきれいだった。
街に一つも明かりがないと、
こんなにも星がきれいに見えるのだということも私は初めて知った。
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