子どもの自立に思うこと

ちえちゃんからです。

我が家の子どもたちが、夏休み
子どもだけで過ごす長期のキャンプに
行くようになって三年目です。
兄妹ふたりで都心から離れた
キャンプ場に一週間程度の滞在。
食事の支度など、生活に必要なことは
子どもたちだけでおこなわねばならないという、
一種のサバイバルキャンプ生活です。
電気やガス、水道はありません。
薪で火をたき、料理をおこないます。
もちろんトイレは水洗式ではなくて、くみ取り式。
大人もいるのですが、基本的には
小学生の子どもたちだけで活動。
中高生たちが見守り役を行います。

このキャンプにはじめて参加させた
三年前には、子どもたちは
まだ小学校低学年でした。
とくに下の子にはキャンプ生活の
たいへんさを説明したのですが、
行きたいと言い張ったため、同行することに。

このキャンプに子どもを参加させている
親から話をきいたことはあったのですが、
ネットなどでは紹介されておらず、
事前の情報のない場所に
我が子を送り出すのは心配でした。

家で自炊をさせたこともない、
包丁を使う手伝いすらしたこともない子どもが、
こんなに長期間、キャンプ生活を
送ることができるのだろうか?
そう悩み、心配しながら見送ったものです。

キャンプ中、一度だけ、主催者から連絡が来ました。
息子が熱を出したのだそうです。
迎えに行かねばと思いましたが、
息子自身がなんと言っているのか確認すると、
「帰りたくない」とのこと。
そもそも帰ってくるように言われるのがいやで、
自宅に連絡をしたくもなかったようです。

帰宅した子どもたちの荷物を見ると、
心配で持たせた調理不要の食料は、
半分も減っていませんでした。
仲間たちと協力して、わりと手の込んだ
料理を作って食べていたそうです。

娘は、一昨年は包丁で指を切り、病院に。
昨年は、足に大きなやけどで病院に行ったそうです。
いまだにあとが残る大きなやけどを、
本人は気にしている様子もなく、
むしろ武勇伝であったかのように説明します。

子どもの身体は子どものものであると
理解していたつもりでも、私も夫も
やけどには落胆したのですが。

夏の長期キャンプで、子ども達は
親がいなくてもたくましく
生きていけるものなのだと、
あらためて思わされました。
案外、日頃私がしている心配の大半は、
むしろ子どもの成長には
じゃまなものなのかもしれません。
「子どものため」と思って行動するとき、
私は「母親という自分の居場所」を
手に入れることができます。
それは自分で自分の人生を
歩むことから逃れるための、
一種の依存か、いいわけなのだとも思えます。

今年のキャンプは十日間。
三年目ともなれば過度な心配も、
自分に対する焦りもありません。
(もちろん、そのつど「親の時間」のみなさんに
私の話を聞いてもらっていたおかげでもあると思います。)

子どもたちのいない十日間は、
アルバイトをしています。
特にやりたい仕事でもないですが、
たんたんとこなしています。

子どもを産む前の私は、やりたい仕事には
ついていたものの、やはりたんたんと、
無感動に日常を過ごしていたことを思い出します。
もし、子どもがいなかったら、きっと
私はお金を得るための手段として、
ただ仕事をこなすだけの日々を
送っていたかもしれません。

望んで親になりましたが、
実際に子どもが生まれてみると、
あまりに思い通りにいかないことばかり。
自分の見たくはなかった面を
つきつけられてるような機会が多く、
悩みや苦しみが増えたとさえ
感じるときもあります。

でも、こうして一週間以上も離れて暮らすと、
子どもたちとの時間が、尊いものに
なっていることがひしひしと感じられます。

いまはまだ、子どもたちは当たり前のように
私たち夫婦のところに帰ってきて、
またいっしょに生活をします。

やがて子どもたちは自立するでしょうが、
そのときまでに、私も自立した人生を
歩めたらいいと思います。

ちえちゃん
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