歩くスキー教室に参加して思ったこと

まきちゃんからです。

私は毎週土曜日、私の住んでいる地域が主催する
「歩くスキー教室」に参加しています。

その教室は、毎年1月頃から始まり、
参加者は20名くらいです。
参加費も安く、地域の人達とも顔見知りになれるし、
道具は全て中学校から借りることができ、
すごく条件が良いのが気に入っています。

私は去年から参加していて、今年で二度目です。
去年まではおそらく私が最年少の参加者で、
ほとんどの人が65歳以上なのですが、
今年は小学1年生の男の子が入って、
彼の存在がとても励みになっています。

彼はとにかくスキーを履いたら
すぐに滑りたくてたまらないようで、
準備体操が終わると、待ってましたとばかり
雪原に飛び出していきます。

「下手くそだからお先にどうぞ」のような遠慮とか
「転んだら恥ずかしい」なんて思っている様子もなく、
何度も何度も転んでは起き上がりを繰り返し、
どんどん上達していきます。
自由に風を切ってスキーを楽しんでいる
彼の姿は本当に格好良いです。
そんな彼が先日とうとう大会に出場しました。

「歩くスキー教室」の最終日、彼は大事そうに
木箱を両手に持って現れました。
木箱には金色のメダルが入っていました。
1位だったのです。嬉しさが体全体にあふれていました。

最終日はいつも森の中を滑るのですが、
彼のスピードに大人がついていけず、
彼を見失い、大人達が慌てる場面もありました。

私はコーチに、よく「顔を上げていきましょう!
足元ばかり見ないで、行たい方に
目線をあわせましょう」と言われます。
何か人の生き方に関して言われているような気がします。

最終日の森の中の滑走は、雪景色を堪能したかったので、
のんびりと自分のスピードで滑りました。
でも、小学生の彼を見習い、思い切って
時々スピードを出したりもしました。
おかげで何度か転びましたが、天気が良く
お日様の光をたくさん浴びて
本当に気持ちが良かったです。

まきちゃん

怒りの原因は?

としみからです。

私は、子ども達から学校や先生の話を聞いたり、
自分の学生時代に先生が言った言葉を思い出すと、
何故か怒りが湧いてきました。
でも怒りが湧いたら、それを閉じ込めずに
その度に「親の時間」で聞いてもらっていました。

それで思い出したのは、子どもの頃、
学校や先生との関係でトラウマがありました。
そのことで、沢山話を聞いてもらっていましたが、
怒りは鎮まりませんでした。

そこで、もしかしたら私は
怒りたい気持ちを吐き出す為に、
学校や先生を使っているだけで、
本当に怒りたい理由は別に
あるのではないかと思い始めました。

私の怒りは、先生が子どもをたしなめたり、
子どもに理不尽な対応をした時に起きていました。

確かな記憶として残っているわけではないので、
これは想像ですが、私がまだあかちゃんだった時、
親や周りの大人にされたことに
嫌だと言えなかったことや、理不尽なことを
ただ受け入れるしかなかったことが
たくさんあったのではないかと思います。

そして、その時にはあかちゃんの私が、
嫌だという気持ちで泣いているのを
理解してくれて、リラックスして見ていられる大人が
誰もいなかったので、怒りや、嫌だという
気持ちをしまい込んでしまったのだと思います。

ところが、大人になって嫌だという気持ちが
わきおこる似たような場面に遭遇した時に、
大人の私は、怒ったり、犠牲的なったりせず、
きちんと「嫌です」と相手に
言えるようになったにも拘らず、
何も言えなかった小さい自分に戻ってしまい
イライラしたり、腹立たしい
気持ちになってしまうのです。

「親の時間」では小さかった自分に戻って、
大人や親との関係を思い出すことをしています。
記憶に残っている小さな自分を見つけて、
辛かった経験を思い出し、その時に
自分がしまい込んだ感情を出していきます。
すると、子どもだからという理由で
何もわからない人として扱われていたけど、
本当の私はとても賢くて、強いと
いうことを思い出しました。

実際に泣いてみて分ったのですが、
泣くことはとても大事なことだと思います。
気付きが生まれ、気持ちが整理され、
心に余裕ができます。
泣けなかったり、泣いているのを
リラックスして見ていられないのは、
多くの人がそうされてこなかったのと、
悲しい時に泣くよりも我慢できる方が
大事なことと信じているからだと思います。

今はまだ充分に気持ちを出し切ってはいませんが、
自分のしまい込んだ大人に対する怒りの感情に
気がついたお陰で、学校や先生だけでなく
誰とでも話をする機会があるときに、
頭が真っ白くなったり自分の意見を
飲み込んだりせずに、穏やかな気持ちで
話し合いができるようになりました。

全てを受け入れなくてはならなかったのは
幼かった自分であって、今の自分ではないと
自覚できるようになり気持もずいぶんと楽になりました。

産まれてから、私は幾度となく心に
傷を負って生きてきました。
傷ついた時に、いっぱい泣いて、
怒ることが出来たら、その都度
心の傷は癒されたに違いありません。
私が子どもの時には、十分に聞ける人が
誰もいませんでした。
でも、今は「親の時間」の仲間が聞いてくれます。
何度も、否定せず、温かく聞いてくれるので、
私は傷を癒し、本当の自分を取り戻し
自分らしく生きて行けるのだと思います。

幼い自分に「ありがとう、もう大丈夫だよ。
あなたのお陰で、私は今こうして生きています。
そして、これからも自分の人生を
仲間と共に十分に楽しんで生きて行くからね」
と声をかけたいと思います。

としみ

母の決断を応援する

ちほからです。

久しぶりに実家の母と電話で話した。
母は大きな決断をしたことを
私に伝えてくれた。

長年つきあってきた病気の、
現在の治療に関して、父と担当医師に
「この治療は辛いからしない」
とはっきり伝えたそうだ。

母は副作用の強いその治療を
心から辛いとは言えなかった。
母の具合が悪いと、心配する父と
強い副作用があるものの治療効果は
でていると説明する医師に
自分の気持ちを言えずに我慢していたのだ 。

私たち三人姉妹を産み、
自分の夫の両親と同世帯で生活し、
教師として働いた母。
40代前半で病気が見つかり、
治療と仕事と子育てをしていたが、
体調のこともあり、早めの退職をした。
99歳まで生きた義父を介護し、
穏やかな生活が始まると思ったところに
また病気の再発。治療を継続している。

現在は自分の趣味や
ちょっとしたボランティア活動、
簡単な家事や食事作りを
休息をとりながらやっていると言う。

母は「今ささやかでも、出来ていることが
自分にとって大事なことだから、
それが薬の副作用で出来なくなることは本当に辛い。
それが出来なくなるなら(治療をやめて)
命が削られてももう充分かなと思うんだ」と言った。

結果今の治療はやめるものの、
今より弱い薬を試してみることにはしたそうだ。
もし、辛い副作用が出るならやめようと思っていると 。

私は母には生きていてほしい。出来たら長く。
でも、母が望まない治療を苦しみ
我慢し続けるのには賛成しない。

私は母に「お父さんとお医者さんによく言ったね。
もうお母さんが 決めたいようにやっていいよ。
お父さんは心配するけど、
もう気にしないでやっていいよ 」と言った。

人は一人では生きていけないけど、
周りの人を思い、自分の考えを
置き去りにしてしまうことがよくある。
母親というものは、特にその傾向が強いように思う。
自分より誰かの考えを優先してしまう。
自分の言動や健康までも
優先出来なくなってしまうのは
恐ろしいことなのだが、
本当にそういうことが
たくさん起きてしまうのだ。

「誰にも言ってなかったけど
ちほには話しやすくて、つい話しちゃうね」
用事のためにかけた電話で、
ついでのようにしか自分の大事なことを
話せない慎み深い母を、
もどかしく思う一方で
心から愛しく思った。

いいたいことが言えなかったのは
母のせいではない。社会の女性らしさ、
母親らしさ、妻らしさを求める
プレッシャーが自分を
優先出来なくさせているのだ。

母親というのは素晴らしい存在だ。
でも、優しさや思いやりや愛情を
自分自身のために使うことをうまくできない、
とても難しい存在だともつくづく思う。

母は生きることに向き合って
自分の生き方は自分で決めると決断した。
母の強い意志を私は誇らしく思い、
心から応援しようと思う。

ちほ

感情を解放することに関して

ちえちゃんからです。

わたしが一般的なカウンセリング
に対してもっているイメージは、
考えを言葉にしてゆくことで、
気持ちや頭の整理をつけていく
というものです。
あるいは、単なる相談と
いう場合も多いのかもしれません。
 
「親の時間」では、考えよりも
感情を聞いてもらうことに
重点が置かれています。
傷ついたことから、人間が
回復するためには、感情の解放が、
必要だという考えに基づいているためです。

ですが、この「感情をあらわす」というのは、
以前にもこのブログで書いたのですが、
わたしにはなかなか難しいことです。

一般的に、アメリカ人は日本人に比べて
感情表現が豊かだといわれています。
もちろんアメリカ人といっても
千差万別でしょうが、映画やTVなどで
見かけるタレントさんなどを見ていると、
その表情の豊かさや、オーバーにも感じる
リアクションに圧倒されるのは事実です。
しかし、彼らはそのぶんシンプルな
考えをもっており、自分のしたいことが
明確であるかのようにわたしの目にはうつります。

それは、もしかしたらわたし自身が
「しがらみ」や「たてまえ」にとらわれて、
感情を外に出すことが不得意であるせいで
そう見えているだけなのかもしれませんが。

夫とそんな雑談をしていたところ、
夫がわたしに「小泉八雲の本に
そんなことが書いてあったよ」といいました。

以下は夫の受け売りですが、
おもしろかったのでご紹介します。

小泉八雲は日本に帰化したイギリス人で、
明治時代の作家です。
もっとも知られている著作は「耳なし芳一」
「雪女」などですが、日本文化に関する評論も
多くのこしています。
かれが日本美術について書いた評論に、
ヨーロッパやアメリカの挿絵付きの本を
日本の子供に見せたところ、
ひどくこわがったというエピソードが
紹介されています。

九歳の男の子が投票場に集まった人たちを
描いた絵を見て、「外国の絵描きって、
どうしてこわいものを描くのが好きなの」
といったそうです。
小泉八雲がいぶかしんでいると、子供は
「この顔!こんな顔は、どこにも
ないでしょう」といいました。
また、十一歳の女の子は、
“ごく普通の、田舎のお百姓さん”などを
描いたスケッチを見て「
まるで地獄の鬼みたい。こんな人、
見ただけで私死にそう!
この本好きじゃありません」と
雑誌をわきへ追いやったそうです。

小泉八雲は、東洋社会の
倫理に着目することが、
西洋人が日本美術を理解する
手助けとなると書いています。
日本においては、「あらゆる個人的感情を
出来るだけ押し隠す――うわべには
にこやかな微笑や泰然自若(たいぜんじじゃく)
とした諦念(ていねん)の表情をたたえつつ
苦痛や激情を人に見せないこと――
これが永年にわたって行動の
おきてとなってきたのだった」と。

夫は、「感情を隠すことが当然だった
明治時代の日本の子供にしてみれば、
それをむき出しにした西洋人の写実的な絵は、
地獄の鬼のように怖く見えたんだろうね」
と解説してくれました。

わたしはいま、「親の時間」で、感情を
おもてに出そうと苦心しているところです。

「親の時間」ではどんな感情でも
受け止めてもらえるという安心感があります。
そうした場所を持たずにいたら、
自分の感情と向き合うことは無理だったでしょう。

明治時代の子供たちが、いまの日本の
わたしたちを見たら、鬼の群れのように
感じるのかもしれません。

しかし、当時とは比べものにならないにせよ、
「感情を解放すること」は、わたしたちの
心にためらいとしていまだ色濃く残っている
のではないかと思えてならないのです。

ちえちゃん

職場の苦手な人と仲良くなれたよ

こっちゃんからです。

今の職場に勤めて三年が過ぎました。

職場にはもちろん色々な人がいて、
私が苦手なタイプの人もいました。
私が苦手だと思っているのが、
態度に表れ、相手にも伝わるのでしょう、
相手も私によそよそしく、
頻繁に嫌味を言われたり、
苛立ちをぶつけられることもありました。

わたしはその人が、益々苦手になり怖くなって、
嫌なことを言われたら落ち込んで
自己嫌悪にもなりました。
相手の顔色を見ながらびくびく働いていると、
仕事も上手くいかないし、全然楽しくありません。

この状況をどうにか変えたい・・・と思い、
言わずに我慢していることを
思いっきり「親の時間」の仲間に聞いてもらったり、
なぜ苦手だと思うのか、
過去になにか原因がないか
いろいろと思いだしてみました。

そしてたくさん泣いたり
怒ったりを聞いてもらっているうちに、
まずは相手からの理不尽な攻撃から、
上手く逃げられるようになりました。
そして何かで怒られても、
以前のように落ち込まなくなりました。
さらに苦手だった相手に少しずつ
優しくなれるようになりました。

劇的に何かが起こったわけではないけれど、
私がひとつやさしくすると、
相手もすこし優しくしてくれて、
気が付いたら少しずつ怒られなくなったし、
嫌みも言われません。
私が何か失敗しても助けてくれます。

なんと今ではとても仲良しです。

聞き合う関係のある仲間に、
聞いてもらうと、すごいことが起こるんだと、
あらためて実感しました。

こっちゃん
プロフィール

わこ

Author:わこ
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
QRコード
QR