子どもとの関係が変わったよ

こっちゃんからです。

子どもとの関係も随分
変わったものだなぁと感じています。

中二の長男が「抱っこして」とハグを求めてきたり、
眠れない夜に「手にぎってて」と頼まれたり。

小五の次男は、毎日私の帰宅を
待ってかくれんぼしたり、
何か失敗するたびに
ひっくりかえって大泣きしたり。

私の子どもの頃と比べると
あまりに違いすぎておどろくことばかりです。

そういう彼らの姿をみるたび、
羨ましくて心がざわざわするけれど、
嬉しい気持ちもたくさん湧いてきます。

昔は子供といることが
苦痛でたまりませんでした。
してあげたいことがあっても、
上手くできなかったり
反動ですごくイライラしたり
自分がどんどん苦しくなっていきました。

今でもイライラすることはあるけど、
自分を責めることなく、追い込むことなく、
彼らと関わることができるようになってきました。

家族と一緒に暮らすって、
こんなに楽しいことなんだな、って
実感できるようになりました。

こっちゃん

父との辛い時期は終わった!

ちほからです。

今年の夏も子どもたちと実家に帰って
両親と姉とお盆休みを過ごしました。

父は80才になります。
私が小さい頃、父はよく怒って
いろいろなことを言ってくる
怖くてうるさい存在でした。

父に心配されることが嫌だった私は
文句を言われないように取り繕い、
避けたいけど逃げられない人と思っていました。
あらゆる意味で、私に大きな影響を与えた人です。

小さい頃に戦争を経験した父。
中学生で親戚の家に預けられ孤独だった父。
二人の妹たちを無くした父。
何度も辛い経験をし「もう二度と
こんな思いをしたくない」という
強い思いが私を育てる上で
影響していたのだと思います。

父という存在を客観的にみることが
出来るようになったのは、
「親の時間」の仲間に
話をたくさん聞いてもらったからです。 
私も父も年をとったからだけではないと思います。

今回の帰省で私が運転する車の助手席で
うたた寝をしたり、闘病中の母と
パークゴルフが出来たことを
無邪気に喜ぶ父を見て
ただただ愛おしいと思いました。

父といて苦しくて辛い時期は終わりました。
今は、父が本当によく生きてきたということ。
父がどんなに辛い経験をしてきても、
私は父の思いを受け取って生きなくていいし、
父が好きだということ。

これに気づけたことは私にとって大切なことです。
 
帰り際、ハグした体が、ひと回り
小さくなっていたことにちょっと
さみしい気持ちにもなりましたが、
一緒に楽しい時間を過ごせて
よかったと思えた夏休みでした。

ちほ

子どもの自立に思うこと

ちえちゃんからです。

我が家の子どもたちが、夏休み
子どもだけで過ごす長期のキャンプに
行くようになって三年目です。
兄妹ふたりで都心から離れた
キャンプ場に一週間程度の滞在。
食事の支度など、生活に必要なことは
子どもたちだけでおこなわねばならないという、
一種のサバイバルキャンプ生活です。
電気やガス、水道はありません。
薪で火をたき、料理をおこないます。
もちろんトイレは水洗式ではなくて、くみ取り式。
大人もいるのですが、基本的には
小学生の子どもたちだけで活動。
中高生たちが見守り役を行います。

このキャンプにはじめて参加させた
三年前には、子どもたちは
まだ小学校低学年でした。
とくに下の子にはキャンプ生活の
たいへんさを説明したのですが、
行きたいと言い張ったため、同行することに。

このキャンプに子どもを参加させている
親から話をきいたことはあったのですが、
ネットなどでは紹介されておらず、
事前の情報のない場所に
我が子を送り出すのは心配でした。

家で自炊をさせたこともない、
包丁を使う手伝いすらしたこともない子どもが、
こんなに長期間、キャンプ生活を
送ることができるのだろうか?
そう悩み、心配しながら見送ったものです。

キャンプ中、一度だけ、主催者から連絡が来ました。
息子が熱を出したのだそうです。
迎えに行かねばと思いましたが、
息子自身がなんと言っているのか確認すると、
「帰りたくない」とのこと。
そもそも帰ってくるように言われるのがいやで、
自宅に連絡をしたくもなかったようです。

帰宅した子どもたちの荷物を見ると、
心配で持たせた調理不要の食料は、
半分も減っていませんでした。
仲間たちと協力して、わりと手の込んだ
料理を作って食べていたそうです。

娘は、一昨年は包丁で指を切り、病院に。
昨年は、足に大きなやけどで病院に行ったそうです。
いまだにあとが残る大きなやけどを、
本人は気にしている様子もなく、
むしろ武勇伝であったかのように説明します。

子どもの身体は子どものものであると
理解していたつもりでも、私も夫も
やけどには落胆したのですが。

夏の長期キャンプで、子ども達は
親がいなくてもたくましく
生きていけるものなのだと、
あらためて思わされました。
案外、日頃私がしている心配の大半は、
むしろ子どもの成長には
じゃまなものなのかもしれません。
「子どものため」と思って行動するとき、
私は「母親という自分の居場所」を
手に入れることができます。
それは自分で自分の人生を
歩むことから逃れるための、
一種の依存か、いいわけなのだとも思えます。

今年のキャンプは十日間。
三年目ともなれば過度な心配も、
自分に対する焦りもありません。
(もちろん、そのつど「親の時間」のみなさんに
私の話を聞いてもらっていたおかげでもあると思います。)

子どもたちのいない十日間は、
アルバイトをしています。
特にやりたい仕事でもないですが、
たんたんとこなしています。

子どもを産む前の私は、やりたい仕事には
ついていたものの、やはりたんたんと、
無感動に日常を過ごしていたことを思い出します。
もし、子どもがいなかったら、きっと
私はお金を得るための手段として、
ただ仕事をこなすだけの日々を
送っていたかもしれません。

望んで親になりましたが、
実際に子どもが生まれてみると、
あまりに思い通りにいかないことばかり。
自分の見たくはなかった面を
つきつけられてるような機会が多く、
悩みや苦しみが増えたとさえ
感じるときもあります。

でも、こうして一週間以上も離れて暮らすと、
子どもたちとの時間が、尊いものに
なっていることがひしひしと感じられます。

いまはまだ、子どもたちは当たり前のように
私たち夫婦のところに帰ってきて、
またいっしょに生活をします。

やがて子どもたちは自立するでしょうが、
そのときまでに、私も自立した人生を
歩めたらいいと思います。

ちえちゃん

膵臓にあった石が自然消滅した!

しばらくのお休みごめんなさい。
昨日アメリカの東海岸から帰って来ました。

ブログの原稿掲載が遅くなってごめんなさい。
以下、としみからです。

今回は私の膵臓にあった石が、消えたこと
についてお話ししたいと思っています。

5年ほど前、突然の左脇腹の激痛によって
病院へ行った私は、初めて膵炎という病気で
入院することになりました。
原因は膵臓に出来た石でした。
それから3年間は膵炎と石を砕く為の
入退院を繰り返していました。

病気にはなりたくないものの、
病気になることで私は日常の嫌なことから
離れることが出来るという安堵感も得ていました。
嫌なこと、自分にとって辛いことをどうやって
解決して良いのか全く解りませんでした。
とにかく頑張る、それが私にとっての
唯一のやり方だったと思います。

でも、「親の時間」の仲間と
話を聞きあってゆくうちに、
膵臓に石は残っていましたが、
膵炎にはなるまで悪化することなく、
普通に日常生活を送れるようになりました。

そしてある日、ついに石は
自然消滅したのでした。

日常生活では食事に気をつけたり、
カイロやお灸も試していました。
でも、大きかったのは聞き合うことで
自分を大事にしていいのだということに
気が付いたからだと思います。
『自分を責めない、嫌なことはしない、
やりたいことをやる、自分のことを第一に考える』

私が子供の時から信じていたのは、
出来ないのは自分の努力不足、
嫌なことを乗り越えていくのが人として素晴らしい、
自分よりも他人の為に生きることが価値がある、
好きなことばかりやって嫌いなことを
避けていたらロクな大人にならない。
このような間違った情報に基づいた
考えこそが、私を苦しめていたのだと気付きました。

聞きあってゆく中で、自分にとって
何が本当で大切なことなのかに気が付いたのです。
少しずつですが、生きてゆくことが
楽しくなり、心地いい毎日が増えていきました。
人生を自分の為に生きるんだという、
新しい感覚と感動、希望みたいなものも
感じるようになりました。

病気の原因は人によって違います。
辛いと思う理由も人それぞれ。
だから解決方法はみんな同じじゃないと思います。
その人自身だけが知っているのです。

「親の時間」は自分の為の時間です。
だから、聞きあっている中では
アドバイスも否定もありません。
アドバイスはする側にとっての
ベストであって他の人には
その人なりのベストがあるのです。

こうして私は5年という時間と
自分なりの方法で病気を乗り越えました。
乗り越えた喜びは大きいですが、
病気になる前よりも、今が楽しいと思うことが
多くなったことが嬉しくて仕方ありません。

としみ

世界一周旅行中の20歳の韓国人女性

またわたしのポーランドとチェコの旅行記に戻ります。

成田からワルシャワまでの航空券はもちろん、
旅行の間の5箇所の宿泊場所、
ワルシャワからクラクフまでの列車の切符、
クラクフからプラハまでの長距離バスの切符、
そして、プラハからワルシャワに戻る航空券、
全て予約できて完璧!状態だったのに。。。

クラクフでバスに乗ろうとしたら(それも朝7時発の)
わたしが座る予定の2階建バスの
わたしの席(それも特別料金まで払った2階の一番前)に、
もうすでに座っている人がいました。
そこで、わたしは運転手さんにお願いして、
ダブルブッキングになっていないかどうかを
事務所に電話して調べてもらったところ、
なんと、わたしの予約間違い!
6月16日の切符を予約したはずだったのに、
7月16日を予約していたのです。
よくよく見たら、印刷して来たわたしの
控えの用紙にも 7/16/17 と書いてありました。
ショック!!
どんなに掛け合っても、そのバスに乗ることができず、
結局また次のバス(11時)を予約して、
かなり落ち込んで、近くのショッピングモールで
(わたしは、海外に行ってもほとんど買い物をしないので
通常はショッピングモールは苦手なのです。
でも、クラクフはとても歴史的な場所で、どこも
かしこも、キンキラの大きな教会と、
キリストの磔の絵や、銅像でわたしは
ひどく疲れてしまっていたので、
意外なことに、日本や他の国とほとんど変わらない
ショッピングモールがやけに落ち着いたのです)
時間を潰しているうちに結構あっという間に3時間経過して
30分前にまたバスターミナルに移動しました。

そこで、若いアジア人の女性に出会ったのです。
最初は日本人かなぁと思って、
「日本人ですか?」と声をかけたら、
英語で韓国人です。と返事が来ました。
せっかく声をかけたのだから、
「どこに行くの?」などと聞いていたら、
彼女もわたしと同じバスでプラハに行くとのこと。
お互い、一人旅だとわかって、
話し始めたら、彼女は何と
世界一周旅行中ということで、
それを聞いたわたしは大興奮でした。

もうほとんど運命と思ってしまったのだけど、
何と、わたしと彼女の席が偶然にも
隣同士だったのです。

そこで、もっと詳しい話ができました。
高校を卒業して2年間働いてお金を貯め、
心配する両親を説得して、今年の3月に
韓国を電車で出発して、ロシアをシベリア鉄道で
渡って、5月に東ヨーロッパに入り
7月までヨーロッパの国々を旅する途中のことでした。
予定では、50カ国回るそうです。

切符の予約間違いで、落ち込んでいた
わたしですが、彼女に会って、すっかり元気になりました。
間違いが転じて、とても良い結果を生むこともあるのですね。

世界一周にしてはあまりにも軽装だったので、
写真を撮らしてもらいました。
と、ここで写真を入れようと思いましたが、
彼女の顔が写っているのは良くないので、
いろいろ編集しようと頑張ったのですが、
できませんでした。というのは、今東京の
娘のパソコンでこのブログを書いているのです。
何故なら、わたし明日から今度は
ニューヨークとボストンに行きます。
今度は、観光も少ししますが、カウンセリングの
会議とワークショップに参加するためです。

というわけで、またブログがしばらくお休みになりますが、
帰って来たら、さっきの若い韓国人女性の写真も
忘れずにアップしますね!

わこ


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